Taitol
5年前の夏の出来事。 母の実家のある新潟に一緒に帰省した。 ここはど田舎なのでなにもすることがなく暇をもて余していた。 とりあえず車でふらついてみるかとドライブへ1人ででかけた。 ふと気づくと山道になっていた。 俺は調子にのって下手糞なドリフトをして峠を楽しんでいた。 しばらく走ってコーナーを曲がった時いきなり人が飛び出てきた。 よけれるはずもなくひいてしまった。 でもなーんもない。車にも傷とか血とかなにもついてないし思い出してみれば衝撃とか音とかなんもしなかった。 後味が悪かったけどきのせいだと無理やり納得して母の実家へと帰った。 次の日の夜になりやっぱりなにもすることがない。 昨日の事がきになったのでもう1度あの峠にいってみた。 通行する車が皆無に等しいので峠いったいがとても静かで不気味です。 やがてその場所へつき車から降りてみるとなにも変わった事はない。 このときやっとほっとしました。なにせもしひいてたら人生終わりですから。 安心しきって車に乗り込み峠を下っているととてつもなくいや〜な感じが・・・。 いったん目を離してもう一度バックミラーを見ると・・・。 そこにはミラー越しに俺を睨んでいる不気味な目。 すぐにミラーから目を離しバックミラーをみないまま峠を走りました。 峠は全く他の車の通行がありません。 とりあえず通行量のある国道目指して走りつづけました。 あの時の状況は今思い出しても震えます。 無事国道につきコンビニへいきました。 車に乗り込むと依然いや〜な感じはします。 おそるおそるバックミラーを見ると・・・なんもないや。 あの目もきのせいだったのかな?などと強引にきのせいと自分にいいきかせながら車を走らせていると無事母の実家につきました 。 めちゃくちゃほっとしてエンジンを止めたら、かすかな声で 「あんた死ぬよ」・・・って。 確かに聞こえた・・。もうきのせいとかじゃない。 頭の中がアヒャりながら母に全てを話したけど半信半疑といったとこで信じようとしない・・・。 次の日は東京へ帰りました。 車を買い換えたいのだけどうちにはそんな金ありません。 霊媒師にみてもらおうと思ったけどどこにいるかさっぱりわかりません。がいろんな人に頼み込んだところやっと霊媒師を紹介してもらいました。 霊媒師とその峠へいって調べてもらったら俺自体に峠で事故死したと思われる若い男の霊がとりついているとのこと。 道連れにしたがっている悪質な霊だそうでです。 東京へ帰って除霊してもらう事になったんだけど除霊料って高いのね。200万だって・・・。 背に腹はかえられないのでしぶしぶ了承したけどさ。 死ぬほどしゃれにならんぞ霊媒師!足元みやがって。 親戚から金かりた時哀れな目でみられたじゃねえか!ゴルァ! |
二年ほど前こないだ夜中に小腹が空いて部屋でカップうどん食ってたのね そうするとな〜んか変な感じがあってさ、人に見られてるようなそんな感じ ふっと横をを見たのよ、そしたら何かたんすの前のあたりの空間?を開いてたような感じで何か子供がこっち覗いて笑ってるの 一瞬でぞぞ〜〜〜ッと体中に悪寒が走って金縛り状態になってさ、1分ぐらいかな?その子とじーっと見詰め合ってたわけだ 少し時間がたってさ、あれ?この子の顔見たことあるな・・と思ったらそのこがニイって歯を剥き出しにして笑ってさ、パタっと空間か何かを閉めて消えちゃったんだよ しばらくしてやっと動けるようになってさ、あの子が見てたところをみても何の異常もない、でもあの子の顔は見たことあるな・・・誰だったっけ・・・とず〜っと一晩中考えてたのね 考えても考えても思い出せなくて、そのうち諦めて寝ちゃったのよ 翌朝、夢で見たのか何か知らないけど起きたらその子のこと思い出しててさ まあ誰だったかと言うとよくある話なんだけど子供のころ自分だけが知っていた友達って奴だったのよ 家でも遊んでたはずなのに何故か親は知らないってタイプのね 小さなころはほぼ毎日その子と遊んでたのね、田舎だったから近所の小さな山で走り回ったりしてさ んで一番鮮明に思い出したのが今回の件に関連する事でさ 夏休みも終わりに近くなった休日(親が家にいた記憶があるからね)ちょっと離れた神社にその子につれてってもらったわけ その子がいうには面白いもの見せてやるよ、ってことで期待してついてったのね んで神社の横に回ったら、何か小さな扉みたいのがあるわけ、戸袋っていうんだっけ?あんな感じのさ そしたらその子はその扉を空けて何か楽しそうにしてんのね、何見てんの?って聞いたら見たい?って聞くのさ、もちろん見たいって答えると見せてやんない、とか言うわけ 意地悪されたと思ってさ、見せてよ!っていって軽い喧嘩になったの、でも結局見せてもらえずその日は泣いて帰ったわけ でも何か気になるでしょ?そういうのって? だから次の日かそのまた次の日かわかんないけどまだ夏休み中だった日にさ 一人で見に行こうと思って初めて一人で遠出したわけ、うろ覚えだったけど二時間ほどかかって何とかそこまで行けたのね そんで神社の裏手に回って、扉の前でしばらくドキドキして、よーっし、と覚悟を決めてあけたら、そこは何か普通の部屋でさ、大人がひとり漫画読んでたの ボケ〜っと見てたらその大人の人が気付いてさ、何かヨッ、とか言って笑ったの、ビックリしちゃって何も言わずに閉めて逃げ出してさ、でも気になるから戻ってもう一度空けてみよう、と思ったら扉がないのね あれ?間違えたかな?と思ってしばらく探してたんだけどやっぱり扉はなくてさ、何か夢でも見たような感じで帰ろうとしたんだ 単純にガキだから帰り道がわかんなくなっちゃって 近所の商店街みたいなところで泣きそうになってたのね、したら男の子が出てきて何も言わずに家まで送ってってくれたの とまあこんな感じで、その後少しして引越ししちゃって男の子とはあえなくなっちゃってさ 手紙を書こうとはしたんだけど親が知らないっていうから住所もわかんなくて、そのままそれっきり とまあここまでが思い出した話でね、で、俺が見たのはその男の子だったからしばらく後には自分が見に来るのかな?と思ってたのね したらやっぱり来ましたよ、男の子が来てから1ヶ月ぐらい後でした 眠れなくて夜中に漫画読んでたら最初と同じように視線を感じて、ふっと見たらバカ面下げた自分がビビッテた 自分も予想はしてたといえビビッちゃってさ、「いょぅ 」ってな感じ声ひり出して薄ら笑いみたいな感じでなんとか笑ったのね したらガキの自分はびびっちゃっていきなり消えちゃってさ こっちも緊張が解けてしばらく気の抜けた状態になってましたよ(笑 まあここで終わりです、乱文垂れ流し失礼しました 興味深かったのは子供のころの記憶で見た大人は 確か自分のした顔よりも余裕があってにこやかに笑ってたようなきがしたんですけどね 子供からみるとそう見えてたってだけかもね |
K氏(同僚)は若い頃、すすきのの飲食店に勤めていた。 ある早番の日、同じく早番だった職場の先輩と、仕事上がりに飲み屋に寄った。 K氏も先輩も酒好きだったので、日が変わる前に店を出て、先輩の家で本格的に飲もうとなった。 先輩氏のアパートは、創成川という川沿いにあり、すすきのから歩いて程近い距離だったので、二人で川沿いを歩くことになった。 アパートが近づき、繁華街から離れて辺りも静かになってきた頃、二人の後ろから足音が聞こえてきた。 振り返ると、野球帽をかぶった少年が、二人の後ろを歩いていた。 少年はうつむいたまま、無言で歩いていたそうだ。 時間も時間なので、どうしたのかと思いつつ、またアパートに向けて歩き出した。 少年も、また二人の後をついてきた。 K氏が言うには、その時にはもう、二人とも後ろを歩いている少年が生きていないことを、直感的に理解していたそうだ。 特に確証があったわけではないが、既に周りの空気がおかしかったと言う。 このまま放っておいたらアパートまでついてくるのではないか、と思ったので、二人で目配せして、その場で立ち止まった。 後ろの少年も立ち止まった。 二言三言声をかけたが、少年はただうつむいて立っているだけだった。 「どうせ相手は人間じゃないし、遠慮することは無いと思った。酒も入っていたし」とはK氏の弁。 K氏は、少年の野球帽を取り上げてみた。 野球帽の下には、目玉の無い顔があった。 「それでどうしたんですか」 と聞くと 「とにかく走って逃げた。びっくりしたからね」 そうK氏は答えた。 どのように見えたのか尋ねると 「生きてる人間とおんなじ。触れるし、いるなってのがはっきりわかる。独特の気配はあるけど、それは口ではいえない」 という答えが帰ってきた。 偶然高校時代の友人と再会し、二人で飲み屋に行って焼き鳥を齧っていたら、なぜか怪談話になった。 「とっておきの話がある。去年俺が見た話だ」 と言うので聞いていたら、場所も状況もK氏の話とそっくりである。 後ろから足音が、と彼が言ったところで 「野球帽の子供だろう?」 と聞くと 「ちがうよ、幼稚園の制服着た女の子だ。泣いてたんだよ」 との答えが帰って来た。 「人通りの無いところで、そいつの顔見たんじゃないか?顔はどうだった?」 「血まみれ」 K氏の話を聞いてから後、同じ場所同じ状況の話を3件聞いた。 皆状況はほぼ同じだが、出てくるものが違っていた。 K氏は野球帽の少年、友人は幼稚園児、もう一件は小学生くらいの女の子。 いずれも男の二人連れが、流血した重症の子供を見ているらしい。 近所の土を掘り返してみたら、子供の死体が何体も出てきて、犯人は二人連れの男。 いつかそんな事になるのではないかと思いつつ、思い出すたびに地方紙をチェックしている。 |
おととしの5月に俺の友達が何を思ったかアフリカに行った。 空港から適当なクルマを乗り継いで適当に走り(ヴぁカだよな) まあ、木ぃばっかの方へ向かってしばらく走って、更に歩いて 集落(?)みたいなとこにたどり着いた。 空港から半日くらいで着いたそこは、もういわゆる「裸族」の 村でさ、始めはめっちゃ怪しんでたが、そいつはもってきたスナック菓子 やらボールペンなんかであっさり取り入った。 そいつもまさかこんなテレビみたいなとこにあっさり来れた事にハイに なってたみたいでさ、なんか色々出されたモン(ネズミの葉っぱつつみ・ 山イモ(?)・木の皮(??))とかわんさか食った。 きっと、オウ!サンキュー、サンキュー!とかジャパニーズ全開だった んじゃねーの?で、その中にドロドロの粥みたいのがあってそいつも勿論 食ったんだがな・・。 腹の具合がおかしくなった。痛くはない。しかしムズムズムカムカ。 でも夜中なもんでそいつはずっと我慢してたが、周りが明るく なり始めたころ、とうとう我慢できなくなり家から出たところで 一気にリバース。そしたら ウネウネウネウネウネウネウネ ゲロん中に細っこい小指の爪くらいのウジみたいのが40〜50匹動いてた! もうその場で絶叫。 そいつは気が狂いそうになりつつも、とにかく「もう帰らねばヤバイ!」 と、涙をボロッボロ流しながら(そりゃ泣くよな)起きてきた村人を無視 して一目散で空港に向かった。 その途中でも、何度もリバース。ありったけの胃薬を飲んではまたリバース。 そして転がるように日本に帰り、医者に診てもらったがその時にはもう何も 出なかった。 ちなみにあの粥が原因かどうかは不明。でも1番怪しく見えたらしい。 そいつ今でも粥とかダメ。ベビー○ターもダメみたい。ずいぶんスリムに なったが白髪が目立つようになった(俺もそいつも今24歳)。 俺ん中で最強最悪の話。アフリカやべえ。 |
随分前ですが、学生時代私は北大路に住んでいました。 下宿だったので、お風呂がなく銭湯に行っていたのですが貧乏だったので、銭湯代をけちるため、四条大宮の方に下宿していた姉のところに毎晩のように夜中自転車で通っていました。 (姉の所にはお風呂があったんです)時間は夜11時頃だったと思います。 二条城の前を自転車で通り過ぎようとしたところ 前の方に一人の女がいたのです。 私はジョギングしている人だろうと思い、気にもとめていなかったのですが近づくにつれ何か変だなぁと思うようになりました。 その女の人は私と同じ方を向いていたのですが(私が女の人の背中から自転車でぬく感じです。) いてくる様なのです。変わった練習方法だなぁと思いつつ自転車でどんどん近づいて いくと服装がジャージではないことに気づきました。白いスカートのような感じだっ たと思いますがなぜかあまり服装は覚えていません。そして黒い髪の毛が腰のあたり までダラッとのびている様な感じです。鞄とかも持っていません。後ろ歩きでこちら に歩いてくる様子はかなり異様でしたが、はっきりと前にいるので幽霊だとは思えま せんでした。何しているんだろうと思いましたが変な人には関わらないでおこうと自 転車のスピードをはやめました。 た。足下の方から目に入ってきました。つま先がこちらの方に向いています。なにげ に視線を上の方にあげていくと顔がある部分は なんと背中から見たような真っ黒な 髪の毛が垂れ下がっていました。映画の貞子のような感じですが目すらも見えません でした。髪の毛ばっかり! 私はその瞬間前を見て死にものぐるいで 自転車をこぎまくりました。 あれは何だったのでしょうか。その後も銭湯代をけちるため姉の所に行きましたが 時間帯を早めたり 道を変えたりしたので 同じものを見ることはできませんでした。 私が見た中で一番怖かったものを書きました。あれが人間だったのか幽霊だったのか わからないけど見た時は本当怖かったよ。人間だったなら頼むから あーいう怖い行動 をとるのはやめてほしいです。本当になんだったんだろ。 |
既出だったらスマソ。 数年前に、本栖湖畔で朝釣りのために キャンプをしていたときのこと。 夜中のたき火中に、 「たすけてえええだれかあ」と女性の声が湖の方で聞こえてきて、そち らに目をやると女性が溺れていた。 びっくりしたと同時に、助けなきゃと思い立ち上がったら、連れが 「おまえ何する気だよ!」って引き留めるから、「助けなきゃ」と言い返し たら、 「おまえ、ちょっと冷静になってよく見て見ろ!ここから離れて いて真っ暗なのに何で顔がはっきり見えているんだよ!」と、言うもんだから 改めて見てみた。 そうしたら、水の中でばしゃばしゃ藻掻くこともやめて、じっとこちら を見ていた。足が立つ場所じゃないのに・・・ 確かに暗闇のはずなのに、顔の造作までハッキリわかる。白く光ってい るというか。 たき火は埋み火だったから、こちらの光が届くわけもなし。 んで、ゾーっとして言うまでもなく、即刻撤収。 そちらを見ないようにして作業したんだけど、視線をずっと感じてい た。 もう、二度と行かない・・・! あと、神奈川県の幕山付近でも怖い思いしたんだけど、次回に。 |
起動した。向かい側に座っている妻と話しながら、ゲイサイトを開いて 読みふけった。読んでいるうちに段々眠くなり、ふと目を覚ますと、私の 身体には毛布がかけられていた。コタツで一人眠ってしまったらしく、 妻が毛布をかけてくれたのだろう。 起き上がった私の目に飛び込んできたのはゲイの恋人募集BBSの画面だった。 妻はこれを見たのだろうか?怖くて聞き出すことができないのだった。 |
随分昔の話になるが、ある山に登った。実名出すと色々 記録が残ってるんでよろしくない為、すべて伏せさせてもらう。 下山途中雨に降られ、適当な雨具を持たなかった俺は 山腹の土手がえぐられているような場所を見つけ、そこで 雨をやりすごそうと腰を下ろした。多少降り込んではくるが 一時の雨宿りには十分な場所だった。予想に反し、雨は 降り続き、霧さえ出てきた。「こんなとこで野宿かよ…。」 もうすっかり日も落ちて、あたりは暗くなりはじめていた。 目の前の景色は山肌と木のみ。気色悪い。 カロリーメイトかじりながらシートに寝転がってラジオを聞いて いると、誰かが前を通りかかった。時間は22時を回ったところ。 「道ぐちゃぐちゃで危ないですよ!」声をかけてみた。 軽く会釈をしてこっちに入ってきた風貌は年の頃なら二十歳 ぐらいか。でもなぜ若い女が夜の山をふらふら歩いてるんだ? 以下会話 「懐中電灯とかないんですか?」 「・・・・。」 「今降りるのは危ないですよ!」 「・・・・。」 「明るくなるまで待った方がいいですよ。」 「・・・・。」(一応うなずく) ハイヒールにスカートとかだったら何だか変だとも思っただろうが 一応俺なんかより重装備の登山ルックなんでそれ以上の不信 は持たない事にした。 何を話すでもなく、下を見つづけている彼女に聞いてみた。 「一人で?」 「・・・・。」(首を横に振る) 「他の人は?」 「上で落石がありました。」(おー、やっとしゃべった!) 「ケガ人でたんですか?」 「・・・・。」 その一言を最後にまた沈黙が続いた。 朝になっていた。彼女は知らないうちに出発したらしい。 チェッ。(いろんな意味を込めて。) 下山途中レスキューだか警察だかとすれちがった。ヘリも飛んでた。 麓の食堂が開いてたんで飯でも食おうと入った。客同志の 会話は昨夜、彼女の言っていた落石の話題でもちきり。 「全員ダメだってよ。」外から入ってきた客が言った。 テレビのニュースがタイミング良くこの話題を流していた。 大学のパーティー全員死亡とか。公開されたパーティーの 顔写真の中に昨夜の彼女の顔があった。 俺はそれ以来、山には行けない。 |
「灯台のとこに行こう」 2人で灯台の駐車場まで車で行き、そこから徒歩で灯台へと向かいます。駐車場には同 じ様な目的を持つ車がかなりいるので夜の暗さも余り気になりませんでした。 駐車場から灯台までの道は木々が夜空を覆っていて月明かりも入らず真っ暗となります 。前方の灯台の明かりを頼りに灯台へと行きましたが、アベックばかりで2人組の女の 子はいませんでした。 「吊り橋まで行ってみようか」 伊豆高原の吊り橋の有る場所は切り立った岸壁にあります。岸から向こう岸まで20m 位の長さの吊り橋です。 海面からも20m位の高さに掛かっているので昼間は下が見えてかなりスリルの有る場 所です。 夜は、下がよく見えませんがその高さは知っていますし波の砕ける音や風の音を聞いて いると一段と怖さがまします。 少し嫌な感じでしたが、若い女の子の魅力がその気味悪さを越えていたので女の子を求 めて吊り橋に向かいました。 吊り橋に乗る直前で、 「おい、あそこにいるようだぞ」 向こう岸に女の子らしい人影が見えます。 「行こう」 吊り橋を渡り人影がある方へ向かいました。 「2人組だよ」 喜び勇んで近づき声を掛けました。 「どこから来たの」 「東京から」 明るい笑顔の可愛い女の子でした。 「どこに泊まってるの」 「お父さんの別荘」 たわいのない話をし盛り上がっていました。 「こりゃ、いけるかも知れないな。俺、小さい方の子な」 「OK」 2人は、お互い納得し別々に連れ出そうと計画を立てました。 「ちょっと、散歩しようよ」 友達が、背の小さい子を誘います。 「じゃ、俺達も」 と2人はそれぞれ分かれて反対方向に歩き出しました。 どこの暗闇に連れ込もうかと思っていましたが、ふと後ろが気になり友達の方を見まし た。2人仲良く歩いています。が、よく見ると、その女の子は裸足で歩いています。 「あれ?」 自分の連れの女の子の足下を見るとその子も裸足でした。はいているスカートは綺麗で ない様に思えました。 「どうしたの。ふふふっ」 その子が薄笑いを浮かべて私に言います。 それを聞いて、ゾーとしました。 何か変だ。友達を呼びます。 「おい、ちょっと来い」 友達は振り返りましたがなかなか来ません。 「いいからすぐに来い」 その時、連れの女の子は私の腕に自分の腕を組みました。少し嫌な臭いがしました。 「ちょっとはなしてくれ」 腕を振り払い、友達を呼んで、 「この子達裸足だぜ。なんか変じゃない」 友達と2人で女の子達を見ました。女の子達は、こちらを見ながら含み笑いをしていま す。 「今日は帰ろう。」 納得できない様な友達に真剣な目で訴え 「今日は、都合が悪いから帰るよ」 と女の子達に言い、急いで灯台の方向へ向かいます。 後ろを向くのは怖いので早歩きで吊り橋を渡り、渡り終えた後、後ろを振り返りました 。 すると、断崖絶壁の縁に設置してある欄干の上に乗って踊っている女の子達の姿が見え ました。 「おい、見ろよ。あんなとこに居るよ。落ちたら死ぬぞ」 と言っているうちに2人は、海に落っこちてしまいました。 驚いた私たちは、もう一度吊り橋を渡ろうとした時、吊り橋の中間にその2人に女の子 が含み笑いをして立っていました。 「わぁぁ」 急に怖さが増し友達と2人で転げるように駐車場まで逃げました。 駐車場に着くとさっきまであんなにたくさんいた車は無く友達の車がポツンと1台有る だけでした。 急いで車に飛び乗り発信しました。 ホッと一息つき、後ろが気になったので振り返るとあんなにダシュシして走ってきたの に灯台に行く道の所にあの子達が立っていました。 あの子達は何者だったのでしょう。この世の人では無かったのでしょうか。 確かに海に落ちたのを見ました。 あの暗い中で吊り橋の中央にたった子達の含み笑いの顔がよく見えたのも印象的です。 その後、軟派場所として夜の灯台や吊り橋には近寄っていません。夏の夜の不思議な体 験でした。 |
合宿といえば聞こえがいいが、尾根沿いにある自然公園は首吊りがあった事で 有名で体のいい肝試しという側面もあったのだが。 日没前には現地に入り、公園内という事で気が引けたのだが天候が崩れる事が 予想されていたのでテントの周辺に溝を巡らせランタンを消した。 しかし、そこは大学生。寝付ける訳も無く怪談大会になるのは自然の流れで。 天草五橋の心霊写真や日向の殺人のあった家で見た塩の入った壷等とひとしきり 話しこんだ後に就寝となったのだが、夜半から崩れた天候による風と雨音に混じり シャリン、シャリンという音が聞こえる。 最初はテント脇のブランコだろうという事ですましていたのだが、件の音がテント の周りをぐるぐると回り始めるに及び皆の緊張は頂点に達した。 山伏が持つワッカのついた杖のような、托鉢の持つ鐘のような。そのうち、耐え切 れなくなった同期の奴がテントの小窓から外を覗き見たのだが何も見えなかった らしい。結局、明け方には音も消え逃げるように撤収したという話なんだけど。 山の話が出てたので、何となくね。 |
其処には連絡用のトロッコが敷設され、射爆場の監的壕と要塞砲の連絡を行っていた。 ある日のこと、一トン爆弾用の新型爆薬のテストが行われることになり、板橋から火工長 がやってきた。 指揮所にて最終確認を受け、監的壕の前に設置された爆弾に向けて火工長以下5名の 作業員がトロッコに乗って出発した。 火工長は軍服を着ており、残りは作業服に麦わら帽という出で立ちだった。 遅れて、見学者を乗せたトロッコが出発した。 そのトロッコが走っていたとき、突然レールに稲妻のような閃光が走り、試験用の爆弾が 爆発した。 勿論、先に出発した火工長と作業員は粉微塵になって吹っ飛んだ。 しかし、作業員の遺体の一部は其処此処にあるのに、火工長の遺体だけが存在しない。 捜索隊は必死になって探した。 ふとコンクリートの壁に目をやると、人間の形をした影が浮き上がってきている。 コンクリートの合わせ目に、軍服の生地のような糸屑が霜降りの如く細く一面に挟まり込 んでいた。 火工長は、爆風で吹き飛ばされた拍子に肉体と軍服を壁に圧入されてしまったのだ。 その肉体に込められた脂血が時間の経過と共に化学変化を起こし、浸みだしてきていた のである。 事故処理班が軍服のなれの果ての糸屑をピンセットで取り出し、人型を拭い去った。 しかし、翌日早朝、事故処理班が現場に行くと、また人型が浸みだしている。 このままでは士気に影響すると考えた処理班長は、壁を擦り続けた。 それでも、人型は怨念のように翌日には現れている。 逆上した処理班長は自らセメントを塗りたくった。 ところが、また人型が滲み出ていたと言う。 ついにたまりかね、タガネでコンクリートを片端から削り取り、分厚くセメントを 塗ることで漸く人型は滲み出なくなったという。 |
その日 私は夜勤のため夜、病院へ出勤していました… その日、夜遅くに急患で妊婦が運ばれて来ました。 その妊婦は私が外来で何度か顔を見かけたことがある女性で、 私の記憶だと妊娠8ヶ月・妊娠の経過も順調だったはずなのに… どういう訳か誰が見ても様子がおかしく、 顔色が悪く呼吸も乱れ意識もありませんでした。 これは一刻を争うと思った私は急いで当直のM先生を呼びに走りましたが 当直室には姿がなく、M先生の研究室や心当たりの場所は 全部探し回ったのに何処にも見当たらず 携帯電話でも呼び出したのですが応答がありませんでした… 急患で運ばれて来た患者さんの容態は悪化するばかり… 「あぁ…よりにもよって何でこんな大変な時に!M先生はどこへいるんだろう…」 と途方に暮れて廊下を歩いていると! 空室のはずの病室の扉が「スーッ」と開いて中から M先生が「ヒョイッ」と顔を出したのです! 私は驚きながらもM先生に 「先生!大変なんです!!急患で運ばれて来た患者さんが!!」 とまで言いかけた時…私は言葉に詰まってしまいました。 それは… 何とM先生が出てきた病室から先生に続いて 先輩看護婦のHさんが出てきたからです… 二人は私に見られても何ら悪びれる様子も慌てる素振りもなく 呆気にとられている私を横目に無言で持ち場に戻って行きました。 何だ見てはいけないものを見てしまったバツの悪さで、 どうにも居たたまれない気分になっていた私… しかしM先生の「俺のことを探していたのか?」という言葉で 我に返り慌てて急患の患者さんが運ばれたことを報告したのです。 けれども… 例の急患の患者さんの所へ戻った時には時、既に遅し… もう患者さんの容態は取返しのつかなくなってしまっていたのです。 何とかお腹の子供だけでも生かすことができれば良かったのですが… 悲しいことに、もう手遅れで大切な命を二つも同時に 失うことになってしまったのです。 急患で運ばれきた患者さんと一緒に病院へ来ていたご主人は M先生から奥さんと子供のことを聞かされも最初のうちは 何を言われているのか理解できなかったようですが、 処置室のベットで横たわっている物言わぬ奥さんの姿を見て 「わぁーっ!!!!!」っと奥さんの体にしがみつき… 「うっ…嘘だろ?嘘だって言ってくれ! 夢だって…悪い夢だって言ってくれよーっ!」 と泣き叫ぶばかり… 待望の子供の誕生を間近あでに控え、 毎日が幸せの連続だったの違いない平穏な日々… それを突然 奪われてしまったのですから…それも仕方がありません。 そして…その姿は誰もが口を開くことをためらう程でした… 連日の夜勤で疲れていた私がウトウトしかけた時のこと… 時間はだいたい午前1時を過ぎた頃だったと思うのですが、 そんな真夜中にも関わらず私のいるナースステーションに 数人の入院患者さんが揃って顔を出したのです。 「どうしたんですか?こんな時間に皆さんお揃いで」 という私の問いかけに一人の入院患者さんが… 「私らの部屋にお化けが出るのよ…」 「えっ?」 私は、予想もしなかったその意外な言葉に思わず 吹き出しそうになったのですが、ナースステーションに来た 患者さんのあまりにも真剣な顔にとても笑って聞き流すような 雰囲気ではなかったので、どういう状況だったのかを尋ねてみると… Aさん 「最初は泣き声だったのよ…何だかとても悲しそうな声だったわ…」 Bさん 「そうなのよ…最初は私も空耳だと思っていたんだけど…」 Cさん 「でもね!でも声だけじゃないのよ!お腹の大きな女の人が立っていたの!!」 Dさん 「けど、その女の人が悲しそうな顔をして泣いているのよ… まるで誰かを探しているみたいだったわ…」 それを聞いて後、もちろん私はすぐに患者さん達が入院している病室の方へ行きました。 しかし… けれど、彼女達が嘘をついているという風にも感じられなかったし、 その時は何故か私自身も素直に彼女達を信じようという気になったのです。 ところが… その幽霊騒ぎは その日だけではなかったのです! 連日どこかの部屋で幽霊を見たという人が出てきて噂は 「あっ」という間に病院中に広がってしまいました。 それから10日程経った頃だったでしょうか… その噂が原因で患者さんの中には気味悪がって 他の病院へ転院すると言い出す人まで現れる始末で、 病院側もこの噂を単なる噂として放っておけないと判断したのでした。 そして私が夜勤を勤める日に… とうとう噂の妊婦の幽霊を見てしまったのです… それもとんでもない事件の真っ只中で… 戻ろうと病棟の廊下を歩いていた時のこと。 誰もいないはずの個室から突然… 「ぎゃーっ!!!!!」 という男の人の悲鳴が聞こえてきたのでした。 私はビックリしてその悲鳴が聞こえたドアを開けて中を覗いてみると… そこで私が目にしたものは! 白衣を真っ赤な血に染めて恐怖に引きつった顔のまま ベットの脇の床にうずくまるM先生の姿があったのでした。 その傍らには、あの時 M先生と一緒にいたH先輩が… 自分の首筋に突き刺さった鋏を両手でしっかりと握ったまま 無表情な顔で病室の壁に寄りかかるように立っていました。 そしてもう一人… そうです… その先輩看護婦の横には妊婦らしい女性の姿が! まるで湯気か煙でも見るかのように薄ぼんやりと 私の目には見えたのですが、その姿は間違いなく あの日急患で運ばれてきた妊婦の姿だったのです! 幽霊を見たという人もいなくなり、幽霊騒ぎも収まったのですが… H先輩は出血多量のショックが原因で 植物人間状態になってしまいました… |
すると両親が喪服を着て、いそいそと準備をしていたので「誰か死んだの?」と聞くと 「○○のおばさんが亡くなったのよ」と聞かされました。 この人は父の姉に当たり、そう言えば前から入院してた記憶があった。 小さい頃はよくこのおばさんの家に泊まって遊んで貰ったもので、俺達兄弟は皆この人が好きです。 なので俺は「生きている間に何かして上げれば良かったな」とか少し感傷に浸ってしまいました。 それから俺はどうしても仕事を休めないので、仕事に行く準備をしてご飯を食べているところに 弟が学校から帰ってきました。 弟「あれ?どっか行くの?」 母「うん、△△もお通夜行くから準備しておいで」 弟「お通夜?ああ、それでか〜、さっきエレベーターホールで○○のおばさんに会ったんや」 父、母、俺「!?!?!?!?!?」 弟「どうしたん?○○のおばさんも一緒に行けばいいのにな」 当然、両親は強ばった顔で言葉を失っていました。 俺「・・・で・・何か喋った?」 弟「いんや、俺を見ながら笑ったままエレベーターに乗っていったで」 俺「・・そ、そう・・・」 弟「そうそう、俺が喋りかけても笑ってるだけやから、何か怖いもんがあったけど、誰か死んだからやな」 父、母、俺「・・・・・・・・・・・・・(冷汗」 弟「それで誰のお通夜に行くの?」 誰もその弟の問いに答えることが出来ずにいると、意を決して父が説明しました。 最初は弟も信じず、しかし嘘じゃないことが分かると黙り込んでしまいました。 文才がないのもあるけど、文章にするとあんまり怖くないな。実際だとかなり怖かったのだが・・・。 |
ですけど、去年の夏に鳥肌立つ出来事があったので紹介します。 うちの塾、毎年夏の終わりに小6、中3生を対象に1週間、夏合宿を とある高原で行っています。 非常に参加数が多いので毎年、幾つかのホテルに別れて合宿をしています。 ずいぶん昔に近くを通っているゴンドラの落下事故があって、去年初めて 我々が泊まったホテルの裏の崖状になっている所に、その慰霊碑が 立ってたらしいんです。 そんなのって生徒騒ぐじゃないですか?だから合宿前の職員のガイダンスで 「いちおうそんなのあるけど生徒にはオフレコで、、」って通達 あったんですよ。しかもそれ聞かされたのって、そのホテルに泊まる職員の 中での数名だけです。 ところが、合宿初日の夜、生徒は寝たはずの時間に1人小学6年生の 女の子が起きてきて 「先生、トイレ行こうとしたら外から何人かでこっち見てた」 って泣きながら言ってきたんです。で、我々は「のぞきか?」なんて 言いながら生徒が見たって場所を聞いたら、生徒、暗くて見えないはずの 慰霊碑を指差してました。 生徒には「たぶん見まわりの先生だよ」なんて言いましたけど、自分、 恐くてチビリそうでした。チビったかも。 |
笑ってた。オイさんってば、腰から下がなくってさ。 腕で這ってった。 そんな噂を聞いた事はあったけど、見たのは初めてだったyo。 ついさっき、10時53分の出来事だったさ。 あらら・・・それって「てくてく」ですかね。 うちのバァさん(沖縄)はリアルテクテクを戦時中にみたことあるらしい。 防空壕から爆発音が聞こえてきて、しばらくしたら腰から下のない 日本兵が手だけで這って出てきて悪態ついて、それから動かなくなったそうで。 プライベートライアンみてたら懐かしそうに語ってくれました。 |
ネットで知り合った10歳年下の、とある女の子は自殺願望の強いコで、 心に闇をもっているっていうタイプだったのね。 で、縁あって知り合ってのでイロイロと面倒を見てたんだけど、 そのコの家に遊びに行こうとすると様々な邪魔が入るの。 車が運転できないくらいの局地的な雷雨(天気予報では晴れ)が降ったり、 すごい腹痛を起こしたり、家族や友達からいきなり長電話がかかってきたり・・・・ で、ある日も何とか遊びに行って、深夜そのコの家のコタツでウトウトしていたんだけど、 頭を誰かが掠める感覚がして、目を開けたら、 若い男のコ(20歳ぐらい)とおじさん(30歳ぐらい)が私の隣で寝ていたそのコの枕元に立って、 寂しげな瞳でじっと見下ろしてました。 その霊にとっては自分達が縋っている相手が私とつきあうことで、 縋れなくなる(共鳴できなくなる)のが寂しかったんだろうけど・・・ でも所詮私に霊障を起こすような輩だったし、 (彼女の家から帰るたびに1週間ぐらい具合が悪くなる) その後いきなり彼女から一方的に絶縁宣言だされたり、 下の子を妊娠したのもあって、「もうそろそろ潮時かなー」なんて思ってあっさり身を引きました。 なので彼女がその後どうなったか判らないです。 でもきっと今もその男たちと同じ空間で暮らしてるんでしょうね・・・ |
夜中に玄関から声が聞こえるため、母が何事かと思い、とりあえず力になりそうな 俺を起こして、二人で玄関に行くと、曾祖母が一人で玄関に向かって喋ってました。 90歳を越える祖母は、普段は介護が必要で、なかなか一人では歩けない人でした。 「誰と話してるの?」と母が尋ねると「マツモトさんが、タンスを買ってくれと 言って、買わないと答えてもなかなか帰ってくれない」と言いました。 玄関を見ても真っ暗で、もちろん誰もいません。寝ぼけてるのか、そう思った 俺と母は、「とりあえず部屋に戻ってゆっくり寝ましょう。マツモトさんには 私から断っておきます」。そう言って母は「すいません、マツモトさん」と 誰もいない玄関に向かって曾祖母のために演技をし、俺は曾祖母を部屋に連れていきました。 次の日の昼間、曾祖母は突然の心停止で亡くなりました。 今から思うとあの出来事は、あの世からの迎えが来たとしか思えません。 後日談ですが、マツモト家具という店が、曾祖母の育った家の隣に昔あり、 戦後の不況などで一家は夜逃げ同然でいなくなったそうです。 |
私が住んでいたのは瀬戸内の小さな島だったが、そこに一件のあばら家が有った。 もう随分長い事空家のようで、家の中は荒れ果てており私たちはその家を勝手に幽霊屋敷だと呼びあっていたのだった。 ある日、その空家を探検しようと言う事になり私を含む数人のグループでその家の中に入っていったのだ。 古い家なので玄関は引き戸で、錆付いていたのかどうやっても開かなかった。 仕方が無いので裏庭の方に回り込み何処からか入れる所が無いか探す事にした。 裏庭に行き、私達は一瞬息を飲んだ。赤いのだ、地面が。赤いペンキでもぶちまけたかのようだった。 真っ赤、と言う訳ではなく、どす黒い嫌な色の赤だった。 運良く私達は勝手口からその家の中に入れる事に気付き、家の中に足を踏み入れた。 人の出入りが長い間無かったのだろう、室内の空気は酷く淀んでいて、誇り臭かった。 暗かったので初めは解らなかったのだが、暗さに目が慣れるとその家の壁中に先ほど見た裏庭の地面と同じような 赤い染みがびっしりとこびり付いていた。染みの具合からそれは随分と前にその壁に付着した物のようだった。 私達はさらに家の奥へと足を運んでいった。 居間の中央には縦幅1m程の小さな箱、それはまるで風呂桶のような、がポツンと置かれていた。 その箱にはフタがかけられていて、如何にも何かが入っているようで私達は興味を引かれた。 「お前、開けろよ」、リーダー格の少年が私にそう言った。私は酷く恐ろしかったが好奇心がそれを上回っていた。 それほど重くないフタを私は持ち上げ、中を覗き込んだ。 中に入っていた物を見て、私は思わず「ウワァ」と叫び声を上げたのだった。中に入っていた物、それは生き物のミイラだった。 しかも、その生き物は明らかに人型をしているのだ。 7〜8頭身、赤子や猿の物ではなく、ましてや人形と言うにはあまりにも精巧な姿かたちをしていたのだ。 指先の爪は鋭く、また牙のような物が口からは覗いていた。「小人のミイラ」、そう呼ぶしかない物がそこには居た。 私達はあまりの恐怖にたまらずにその場から逃げ出してしまった。 ミイラ、つまりは死体である。そんな物を見つけてしまったのだから私達はすぐさま大人達にその事を告げ、一緒に来てくれる様に頼み込んだ。 だが、大人達は誰もそれを信じてくれなかった。ただ奇妙な事に年寄りの爺さん達だけは厳しく私達に「二度とそこへは行くな」と言うのであった。 翌日、そのミイラを再度見に行くべく私達は再びその家へと向かった。今度は先輩達も呼んである。 15人はいただろうか、流石にこれだけの集団なら怖くは無かった。しかしてそのミイラはやはりそこに有った。 今度はじっくりとそれを観察した。人形では無い、その場の全員がそれだけは誓ったのだった。 それから一年もしない間に、その空家は取り壊されてしまい今では立派な観光ホテルがその場所には建っているのである。 そのホテルを見るたびに、私は少年時代のあの不思議な経験をありありと思い出す。 |
聖(?)域が今だ日本に残ってるかも?と考えるだけでワクワクする。 多分筆者と息子はデムパだけど。 禁断の田代峠奥 高橋コウ(山梨県)の手記 ◎タブーの山への挑戦 私の住んでいる山形県最上町は、宮城秋田両県の県境に近い場所で、奥羽 山脈のほぼ真ん中に位置している海抜二、三百米の山里です。見渡す限りの 険しい山々と、深い渓谷に囲まれていて、すぐ近くには広い傾斜の続く高原が 眺められます。名だたる豪雪地としても有名ですが、陽春の候ともなりますと 、どこを歩いてもぜんまい、わらび、山うどなどの山菜が豊富に採取されます。 私は山菜取りが好きで、人様から名人級などとおだてられるくらいに、質がよ くて太いぜんまいやわらびを探すのが得意なのです。 長い間の経験と、好きな道だからこその工夫などが原因だと思います。ところ が、附近の連山をくまなく歩き回っていて山のベテランと自他共に許す私も、あ る特定の区域だけは足を入れたことがないのです。 です。地形がきわめて複雑なこと以外には、何の変哲もなくて、深い谷が 多く湿地が続いている山地ですが、地元の人々は古来から、この地域に 行った者は、再び戻ってこないとか、運よく帰れても発狂してしまったり、 突発的事故死が起きると伝えられています。地獄の山との別名もあって、 山登りはもちろん、山菜取りの人も恐れて近寄らないくらいタブーの山で もあります。 太平洋戦争の末期に日本内地を移動中の旧海軍双発飛行機一機が、 地元住民の誰もが視認している中で、田代峠奥地の上空で急に飛行中 の機体が空中爆発して墜落した事件がありました。捜索に出向いた現 職警察官と数名の消防団員達は、地元古老の制止を振り切って入山し たまま、杳として消息を絶ち、更に救援に赴いた少数の海軍兵士さえ、 行方不明になってしまいました。 数年前の冬です。今度は陸上自衛隊のヘリコプター機が訓練飛行中 に、田代峠奥地と推定される場所で、危険緊急電報を打電したきりで、 不明になったことがありました。空中からの捜索は行われましたが、近 代装備を誇る大勢の自衛隊員が来ましたのに、なぜか現場と覚しい所 までは直行せずに、何も回収しないで帰ってしまったのです。私ならず とも、そこに何かあるはずだと思います。しかし、昭和五十年代のご時 世に、迷信や非科学的な現象が存在するはずがありません。 私が行ってやろう。そして、どんな物があるのか、いかなることが起きるの かを、私自身のこの目で確かめてやりたいと決心しました。五十歳をすぎ た私には、異常な決意だったのですが、独身で気楽な会社勤めの上の息 子に相談しますと、 「お母さん、それだけは止めたほうがよいと思うよ。何百年も人間が入っ ていない場所だから、ぜんまいのすごいのがあるだろう。だが、禁制を破 って入り、あとで気ちがいになったり、早死してはつまらないからなあ」 と、てんで乗ってこないのです。そう言われるほど闘志が湧き上がる私 は、 「おやっ、今どきの若い者にしては、珍しい縁起かつぎだわねえ。そんな ら、私一人で這ってでも行って来ますよ」 そう宣言しますと、仕方なさそうに、 「しようがないなあ。それでは、田代峠の近くまでは車で案内するよ。だ けど、近づいて眺めるだけ。それ以上は山に入らない約束をすれば一緒 に行ってもよいよ」 しぶしぶの返事でした。 |
息子は休暇をもらい、長年の教員生活から解放されて気楽な恩給暮ら しの私との二人は、昨年五月十日の晴れた日に、宿願の田代峠に向か いました。山と高原のだだっ広い私の町は家から峠まで二十粁(キロメー トル)以上もあるのです。未舗装のでこぼこ道を車にゆられて行きますと 峠より相当離れている手前に、屋敷台と称する数軒の小落がありました。 車はそれ以上進めません。 駐車させてほしいと、一軒の家を訪れました。わらぶきの屋根と、手造 りの荒い柱が目立っていて、電灯もありません。黒ずんだランプが印象 的で、現代では想像もつかないくらいに、古風なたたずまいでした。この 辺では、他家の人間と会うことが珍しいらしくて、底抜けの善意を示して くれましたが、田代峠から奥の山の地理を尋ねますと、上機嫌だったこ の家の主は、急に険しい顔つきになって、 「お前さん方よ。わしらのような山歩き商売の者でさえ、峠から向かい 側には足を入れないのだ。止めた方がよいと思う。一歩でも踏み込むと、 得体の知れないものがあって、必ず災難が振りかかってくる。わしが知 っているだけで、何人かが命を落とした。あそこだけは止めなさい」 こう言って、山菜取りには予備の食糧がいるだろうと、小動物のくん製 肉をたくさん持たせてくれました。 ほどもある熊笹をかき分けるのに手間どって、予想外に時間を費やして しまい、日の長い五月の一日も暮れようとしていました。山のベテランと もなると、用意のテントも持参していますし、野宿は平ちゃらです。さすが に人跡未踏のこのあたりでは、見たこともない超良質のぜんまいがそこ ら中にあって、うなっていました。 今晩は泊まり、明日は一日中かけて、山菜を集めれば、運び切れない ほどのえらい数量のぜんまいを確保できそうだ。二人で採れば六十キロ は超すに違いない。乾燥しても六キロは出ると計算しました。キロ当たり 一万ですから、六万円以上になりそうだと、われながらみみっちい計算を していました。 突然、私達の目の前に老婆が現れました。初夏の日暮れの逆光線を 浴びて、音もなく姿を見せたとき、私と息子はぎょっとしたのです。乱れた 髪としわだらけの顔はよいとしても、ぼろ切れなのか南京袋をほごしたも のなのか、衣裳めいたのを身にまとって、帯の代わりに蔦を使っていま す。どうしてもこの世の人とは思えない形相でした。地底から涌き出るよ うな声をしぼって、何やら尋ねているのです。私は山の衆と言われている 独特のまたぎ≠フ言葉も知ってますが、それとも違うようでした。判ず ると、お前さん方はどこに行くつもりなのか。峠から向こうには行っては いけない。今晩はおそいから自分の住処に泊まっていけ。そんな意味で した。 しいものは何もないのです。洞窟内の地べたに炉を作っていて、手製ら しい土鍋の中には、とうもろこしと、何ともわからない肉片の塩じるでした。 鍋ごと食えとのことでしたが、盛り付ける茶碗や皿がなかったのです。 水のしずくがしたたり落ち、がらんとした洞窟は、松やにの灯に黒ずんだ 岩肌が不気味に光っていて、休むどころではありません。老婆の姿をし げしげと眺める毎に、原始的な服装と動作のテンポが常人と違っていて 、なぜこんな山奥に独りで生きているのか、分からなくなってくるのでした 。言っていることは、半分ほど理解されましたが、 「お前さん方は、翌朝になったら、峠から戻ってくれ。一歩でも入ったら 、どんな災難が降ってくるかも知れない。うちの旦那は、あそこに出掛け たきり戻って来ないし、最近では、地図作りのお役人さんと営林署の人 が、止めるのも聞かずに行って、次の日には死体となって烏や鷹の餌に なってしまった。悪いことは決して言わないから、必ず実行してくれや」 との意味でした。予想通り、普通の人間が現場に近寄ると、なにかの 理由によって、不幸な事態になるらしいことは、彼女の言によっても了承 できるのでした。でも、その正体を突きとめたい気持ちも十分にありまし た。 |
次の日の朝早く、帰る振りをして、お婆さんに謝して洞窟を出た二人は、 少しばかり戻ってから、問題の場所を確かめようと話し合いました。人工 衛星のとび交うご時世に、婆さんの言うような馬鹿なことがあってたまる かいとの息子の提案に、好奇心きわめて旺盛な私が一も二もなく賛成し たからです。 ひどい道中になりました。ばら科の植物と強じんなつるの多い茎がから み付き、足を取られ大変な難行軍になりました。一歩一歩が汗だくにな り、必死の歩行なのです。二粁ほども進んだと思います。参ってしまうな あと奥山に進んだのを後悔し始めましたが、今更引き返すことはできま せん。 「お母さん、前の方が変な色に変わってきたよ」 息子は、ばらとの闘いの苦しい道程が終わりそうになった時、私に問い かけました。私自身も先刻から、数百米ほども前方に淡い青のまじって いる緑色のガスか霧に似たものが突然に発生して次第に大きくなり、こ ちらの方角に進んでくる感じを気にしていたのです。長い期間山歩きを 過ごしてきた私には、このような色彩のガスを経験したこともありません し、発生する場所と湧き上がり広がる工合も、常識では判断できない現 象でした。この時刻と現在の天候状態では、ガス、霧ともに湧くはずがな いのです。 がにぎょっとして足を停めようとしましたが、自分の意志とは正反対に、 足の方で動きをとめてくれません。私より数歩だけ前を進んでいた息子 も同じ思いだったそうです。ガスはますます濃くなって、私達の方に向 かって輪を広げてきて、私達は見えない引力にずるずると引き込まれて いくのでした。 前を歩いていた息子が、真青な顔を私に向けて叫びました。「お母さん。 これ」山歩き用に使っていて、私が息子に持たせておいた大型の携帯用 羅針盤を指差していました。あとは恐怖で言葉が出ないらしいのです。必 ず北を示していなければならない指針が、無暗にぐるぐる回るだけで、不 安定な針先はどこを差しているのか見当がつきません。そんな信じられ ないことがと、羅針盤を水平に持ち直しても、同様に針は固定せずに大 きく回ったり鋭く振れ動いて、決まった所を差さないのです。不安定な振 れがおさまると、前方の方角に固定してしてしまいました。初夏の太陽の 方向と言えば、東か南です。磁石の北に向くべき針が、東南に。あり得 べからざる事態に仰天してしまいました。そして、指針に向かって私達 の身体までが、吸い込まれるように動かされていることに気付きました。 ん鼻を鳴らして嗅いだ私は、ガスか煙霧に似たこと気体は酸素と窒素か らなる空気でなくて、説明のしようもない別の成分の気体ではなかろうか と直感しました。緑のガスを大きく吸い込みますと、すうーっと肺の中ま でしみる快いものを覚えました。 と、同時に、急に身体が軽くなりました。普通に歩いたつもりだったの ですが、足を踏み出した瞬間に、ふあふあした自分の身体は二米も高く とび上がった感じで、そのまま十米ぐらい前方に音もなく降りる感じでし た。映画のスローモーションフィルムと同じような動作だと思い、突然に 地球の引力がなくなってしまったのでは、いやあるにしても何分の一か に減ってしまっているのです。 た顔を、間の抜けたスローモーション動作を示しながら振り返って見せ ているのです。第二歩を空中に躍らせた時、高い空を見上げました。空 は青色に決まっていますし、数秒前には間違いなく青だったはずなのに、 紫に変わっていました。ただの紫ではありません。抜けるように濃くすき 通って眺められる紫の色でした。そんな馬鹿な話ってあるものですか、 そう感じました。次には、ふんわり降りる際に、地上に目をやったのです が、たった今まで苦闘したばら科植物と蔦が消えていて、砂地になって いるのです。しかも、この地方で見る土砂でなくて、何時か九州の海岸 に遊んだ時に手につかんだ砂に似ています。まばゆく輝く水晶とも思わ れる石英がまじっているなあと思いました。山の中に海浜の波打ち際に 見られる砂があるとは、私は混乱してしまいました。 |
もう一つの奇怪な現象に、はっとしました。ガスを通して見える五百米 ぐらいの先の小高い山の中腹が、がらん洞の洞窟らしい穴になってい て、その穴に向かって風が吹いているのです。附近の気体の流れが、 その穴に対して集中しているみたいでした。つまり、直径一粁もありそう な得体の知れない砂地の真上を、穴を中心点とした場所へ、四方八方 かたのかなり強い風が吹いているようだったのです。 木や葉は全く生えていません。緑のガスが一面にただよっている外に、 近づいて分ったのですが、小高い山と覚しい露出している山肌は緑色の 泡で包まれていたのを発見しました。しゃぼん玉遊びをするときや石鹸 から出る泡と同じような泡ですが、なぜか緑色の小粒の泡です。かなり 強い風があるのに、地面に着いて離れないでいるのです。どこから何の ためにと、私の頭は狂いそうになってしまいました。地球上の動植物で、 こんな泡を出すものは聞いたことがありませんし、気象学の方面でも見 聞きしていません。 納豆のような粘っこいものがからんで消えずに残り、手の平は真赤にな りました。緑から朱に変わったことと、熱い感じだったのを記憶しています。 この小区域だけは地球上にありながら、別の未知の天体のようになって いるらしいことと、緑色に光っている泡自体が、確かに生きているのを確 認したように思われたことです。 大洞窟に吸い込まれるように入った私達は、がらんどうではなくて、雑 多なものが天井や岩肌にぺたぺたと張り付けられているのに気付き、何 故か鉄片を吸いつける磁石のような働きをする内部の岩壁に驚きました。 二十米もあろう高い天井に、にぶく光る物体を見つけ、取ろうとしてジャン プしました。ここは引力が極端に弱くなっているせいか、私でさえも楽に とび上がれるのです。緩慢な動作でしたが、身体がふあーっと空中に躍 り、難なく届きました。 縦横十糎(センチ)のも足りない銅合金の板でしたが手にして読むと、 確かに「金星発動機五二型昭和十九年製三菱航空機株式会社」と刻み 込まれていた記憶があります。後になってから、旧海軍に在籍したこと のある方にたずねますと、中型の陸上攻撃機とか称する飛行機用エン ジンの名称板だと教えてくれました。そうしますと、戦争中にこの附近で 不明になった海軍機のものになります 何故だろうかと疑えるのです。地面に散らばっていたものも、銅製品で あるまいかと思われる物体が多くありました。鉄やアルミ合金などは溶け てしまい、銅だけが残されていた感じでした。その外には、何百年か以前 のものらしい百姓民具のうち、銅製品の鍋や萓合羽の支え具らしいのも 散らばってました。 タイムマシンの世界に踏み込んだ思いで、私は息子へ目で合図して、 いわくありげな洞窟から逃げようとしました。口は利けなくなっていました。 強い風力に抵抗して脱出するのは相当の苦痛でした。洞窟から出た途 端に小高い山のいただきあたりから、白昼ですが写真のフラッシュより も強烈な光線を浴びた感じでしたが、目がくらんで倒れたように思います。 これも後で聞いたのですが、息子は一遍は倒れたけれども再び起き上 がって、夢遊病者のように前の道を歩いて帰ったようだった、と言ってい ます。そのへんは、はっきり分からないのですが、フラッシュに似た光は、 白くはなくて緑色の光線だったと断言できるのです。 息子の二人は、前に申し上げました老婆の住む洞窟の前に倒れていた のです。起き上がった私達は、ほら穴に入ってみますと、人影はおろか 確かにあった諸道具は、何一つなく姿を消しているのです。そして炉端だ った土面から泡が涌き出ていました。例の緑色に輝き光る泡が、生きも ののようにうごめいているのでした。 私達が四日間も家に戻らなくて、大騒ぎになっていることも知りました。 それから、息子の方は二カ月ばかり安静してから、元の健康体に回復し ましたが、私は現在でも近くの市にある精神科病院に通っています。先 生から、高空に長時間いたための症状に似ていると診断されましたが、 誰も私の話を信用してくれません。ですが、私だけではなしに息子も奇 怪な体験をしているのです。 たいなんだろうかと考えましたが、地球以外の天体からやって来て、少 なくとも何百年の間も、UFOなどの未確認物体を誘導する地球基地では あるまいか。洞窟に住んでいたお婆さんは、老婆に姿をやつした他天体 からの派遣員だとも信じられるのです。 いくら考えても分からないのが緑色の泡でした。地球人の私達には理 解できなかったのですが、自在に色彩を変化させ、超短波のような電波 を発信して、通信の役目を果たしているとしか想像できません。 田代峠の山地に、複数の人間がこの目で確認しても、誰も本気にして くれないことを情なく思います。 editor注:田代峠界隈は今でもUFOが目撃される。 |
ドバーッと流しに血を噴き出しはじめました。 その場に倒れる母。腰を抜かすオイラ。大声で叫ぶ姉。 母、死んだかと思っちゃたよ。経血が上から出ただけだったらしい。 お医者さん曰く「生理が遅れてたんですねー」って。。マジビックリしたっす。 オイラ一家が家族旅行のため、祖母の葬式に出られなかった時のこと。 旅行から帰ってきたら廊下には血のシミがついてるし、姉の部屋のカー テンには血飛沫と思われる茶色いシミが点々と。 翌日から2階の窓をノックされたり、カレンダーが揺れたり変な現象が起 き始めました。 姉や母の枕もとに祖母が立つこともあったのですが、幸か不幸かオイラ にはそのときまで何も起きていなかったんです。 ある夜。 オイラはいつものように母と姉が寝入った後、居間で父のコレクション(ト レイシーローズVS愛染恭子)でハッスルプレイ。 ふと視界に何か入ったので見上げると、天井から吊るしていた鉢植えが グルグルグルグル高速回転を始めていました。 声にならない叫びを上げ、オイラは急いで母の寝室である二階へ。 『母さん大変だよー!!!』 『あんたも大変なことになってるじゃない!どうしたの、それ!』 母に指摘されてふと自分の下半身を見るとそこには! いきり立った剥き出しのティムポが...あぁ... オイラ的にはこれが一番洒落にならんかった。 |
高血圧の患者に、間違えて低血圧用の薬を飲ませてしまったら、 元気だった患者さんが急に亡くなってしまいました。 寿命だったんだと信じています。 だって怖いじゃん。 |
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小学生の時の話 隣のクラスのおっちょこちょいの悪童Iは、授業中私たちのクラスの掃除用具入れのロッカーに忍び込み 授業途中で「ワッ!」と飛び出し、クラス中を沸かせて走り去るというパフォーマンスを思いつき、次の授業 で実行することを私を含めた数人に打ち明けた。ま、よくある(かどうかはわからないが)ヒーロー気取りの 悪ふざけである。 当時、教室の後方には各生徒がカバンなどをおいたりするための棚があり、その左端、廊下に近い側には ほうきやモップ、ちりとりなどをしまっておくための扉のついた縦長のロッカーがあった。 Iはこの掃除用具入れに先生が来る前に忍び込み、授業途中で突然飛び出し皆の笑いを取った後、すぐそば の扉から廊下に逃げる算段であったのだろう。もとより逃げても無駄なのだが、私たちはIが怒られる事も含 めて期待していた。 「んじゃ、やってやるからよぉ!」 妙にウキウキしたIは自ら金属製のロッカーに入り込み、内側から薄いドアを引っ張って閉めた。無論カギなど ない。 まもなく先生が現れ、何の授業だったか忘れたがとにかくフツウに授業は始まった。 この段階で、当然といえば当然だが彼のことはクラス中に知れ渡っており、いつ飛び出してくるのかに関心 が集中していた。時折ちらちらと後ろを振り返って見たり ロッカーから時折聞こえる「カタン」とかの物音に誰もがクスクスと忍び笑いをもらたりした。 しかし いつになっても彼が出てくる気配はなかった。物音すら立たなくなった。 クラス中大爆笑を期待していたのだったが、どうやらIが怖気づいたかして飛び出すのをあきらめたのだと思い。 「まさか寝てるんじゃ?」 「それはそれですごいバカ」 などと私たちは勝手な想像でコソコソと笑っていた。 そのうち授業は終わってしまい、起立、礼、着席の号令の後、先生が出て行くのを待って私たちはロッカーの扉を 開けに行った。 「エヘへへ・・」とばかりに頭をかくI あるいは寝息を立てているIを想像していたのだが・・・ ガチャン(扉は単に引っ張れば開く)私たちが目にしたのは、 「ウワアアアアアアアアん!」 張り裂けんばかりに大声でわめく狂ったようなIの姿だった。 真っ赤に泣きはらし、涙、鼻水、よだれでそれこそグシャグシャで シャツとズボンには血がにじんでいた。 「どうしたんだっ! 何があったんだ?」 ロッカーの中に立っていた彼は崩れ落ちるように四つんばいになって這い出てきた。体中ガクガクと震え立てないようだ。 「@§#&※♂△☆±≒▼∃*」 泣き喚きながら意味不明のことを絶叫している。 よくよく聞いてみると「ドアが開かない」とか「誰も開けてくれない」とか言ってるようだ。 学校中が大混乱になり、Iは即座に病院に連れていかれた。 先生たちにいろいろ聞かれたが、こっちにもさっぱり訳が分からない。私たちがいじめで閉じ込めたわけではないのだ。 後で分かったのだが、Iは授業開始数分で飛び出すつもりだったという。それまでわざと軽く音を立ててみたりして いたのだという。 そして「いざ!」という時に扉が開かなくなったのだと。 ロッカーの扉にカギはついていない、回したりひねったりしてロックする構造でもない、押せばしまり、引けば開く 単なるフタの役目しかしていない。 授業も半ばを過ぎるころからIは本気で助けを求めだしたという。 扉を内側からガンガン叩き(これでこぶしを切ったようだ)大声でわめき、つま先でけり続けた。 しかし教室内はまったくの無反応、まったく音に気づく様子はない、授業の様子はロッカーの中にも聞こえてくると いうのに。 Iはその後助け出されるまで気も狂わんばかりに絶叫しつつ扉を叩き続けたという。 教室内の私たちはその時授業をしていた先生も含めて、叫び声どころかノックの音すら聞こえなかった。 Iがわざと立てた物音以外にはまったくの無音だった。普段ならまだしも、Iが飛び出してくるのを期待して 集中していたにもかかわらず。 幸い、Iはごく軽い怪我ですんだ。 行方不明にも精神病院送りにもならなかった。Iが無事だったおかげで、いじめではなかったことが証明された。 彼は扉に付けられた数個の細長いスリットを通して見ていたのだ、私たちが何もしていないことを。 そして、まったく自分に気づいてくれず、完全に無反応な教室内を間近に見ながら泣き叫び、血が出るまで扉を叩き、 助けを求めていたのだった。 小学校の時に実際にあった話です。 幽霊も宇宙人も変質者も出てきません。それだけに全く解釈の仕様がない不可解で気味の悪い出来事でした。 その後なんとなく話題にするのがはばかられたまま現在に至ります。人に話すのは初めてです。それどころか 当時のクラスメイトとでさえ話題にしたことがありませんでした。数度の同窓会においてもです。 ここに書くことで、今まで胸につかえていたものが少し楽になったような気がします。 ありがとうございました。 |
俺が2才の頃、団地内で母は外で仲のよいお隣の奥さんと談笑していた。 俺はすぐそばのゴミステーションで、その奥さんの娘さん(俺と同じ年)と遊んでいたらしい。 その時、ゴミの収拾車がステーションにバックで入ってきた。 収拾車のタイヤは、娘さんをペッタンコに潰し、俺の目の前で 止まった。 お隣の奥さんは反狂乱、運転手は頭をかかえてうずくまっていたらしい。 母親は言った「あんた○○ちゃん(娘さんの名前)のはみでた 脳味噌いじくってたんよ、憶えてないんか?」 もちろん記憶はない、もの心がついていなかったのが不幸中の 幸いといったところか。 |
友人と私の身に起こった実際の話です。結構長くてヤヴァイ話になるので、 細部を思い出しながら少しずつカキコしていこうと思います。煽りが出たら 一時休止という事で…。 表題を付けるならば……「廃屋の気狂い婆」 当時リアル消防だった私達は、学校の裏手が一面の山でしたので 廃屋と化した誰も近づかないような物置小屋、東屋を見つけてきては 「秘密基地」と勝手に決めて自分達の遊び場として使用していました。 私達の遊びのグループはみんなが既存の「基地」の場所を把握しており、 共通の集合場所のような感じで仲良く溜まっていた記憶があります。 幸いにもホームレスのような不審者や大人たちが近づくような場所では 無かったので、占拠していても誰にも咎められる事はありませんでした。 最後の基地を見つけるまでは。 その日、ヨウちゃんとイトウが新しい基地を見つけたと言うので私(ハマ)、 ゴリポン、モリケンの3人は、放課後彼らに案内され直で行ってみました。 そこはまさに「あばら屋」という名に相応しいぼろぼろの小屋で、トタンに 汚いサビが浮き出て、触るのも何かイヤな感じのするオンボロ小屋でした。 「昨日ヨウちゃんと虫取りに来てる時見つけた。鍵あったけど簡単に壊れた」 と、イトウが入り口の薄いドアをリズミカルに蹴りながら言いました。 早速私達3人も中に入ってみると、カビ臭いムッとした匂いと、何か油の様な 匂いが鼻をつきました。「くせーしきたねーよ。ココ、まじ基地にすんの?」 と、モリケンが嫌そうな顔をして外へ出て行きました。中には変色して新聞紙 の切れ端や、木屑、ヘドロの固まったような物が床にこびりついてて、モリケン でなくともその場に留まりたいと思うような場所ではありませんでした。 「とりあえず何かお宝ないか探してみようぜー!」ムードメーカーのゴリポンの 提案であばら屋でのお宝探索ゴッコが始まりました。小一時間もしないうちに、 「ねぇねぇ!ちょっと来てみー、コレコレ」とゴリポンが何かを持ってきました。 それは人の「歯」でした。 続きはまた後日。 「うわっ、ゴリポン何持ってるんだよ!?」モリケンが神経質な悲鳴をあげます。 反対にイトウは平然とゴリポンに歩み寄り、彼の手から「歯」を奪いました。 「これ入れ歯だ。年寄りがいたんだなここ」「ゴリポンこれどこにあった?」 「流しにあったんやけど」そう言うゴリポンに、イトウはちょっと考えるような 顔つきになりました。「昨日はこんなものなかったよな」そうヨウちゃんに問うと 「うん。こんな変なもの絶対無かったよ」そうヨウちゃんもきっぱりと言います。 「年寄りが来とるんやったら見つかったらめっさ怒られるで!」ゴリポン大慌て。 「俺帰る!」「俺も!いちぬけたー!」「にーぬけた!」ゴリポン、モリケンに 賛同するように、私も名乗りを挙げて、年寄りに会う前にそこを出て行こうとしました。 ヨウちゃんが何か言いかけて、私達三人が入り口のドアを開けた瞬間です。 手に山刀と、何か狩って来たと思われる小動物を携えた、気味の悪い婆がいました。 あまりに唐突な遭遇とその婆の凄いインパクトに、私達は声をあげて叫ぶことも、 その場から動くことすらできませんでした。私達が何も出来ず馬鹿みたいに突っ立って ただ婆を見つめているだけの状態が数秒続き、婆の唇がゆっくりと動きました。 「クソガキども」 「ぶち殺すよ」 続きはまた後日。ヨウちゃんスマン、全部書く。 「クソガキども」「ぶち殺すよ」 婆はそう呟くやいなや、手にしていた山刀を一番近くにいたゴリポンに振り下ろしました。 ゴリポンのタンクトップからのぞいていた剥き出しの肩口に、ぱぁっと赤い筋が走りました。 そして次の瞬間、たぷっ、とぷっ、と凄い勢いで血が流れ出しました。「う、うわぁぁぁ!」 痛みより恐怖の方が大きかったのか、ゴリポンは傷口を押さえて一目散にダッシュ。 私も何が何やら分からないままに一目散に走って逃げました。 (何なんだ、何なんだよ!?) 心の中で自問自答する余裕が出来た時には、基地からずいぶんと離れた所に一緒にいました。 「ゴリポン大丈夫なんか!」モリケンと一緒にゴリポンに駆け寄ります。 「う、うん。痛いけど大丈夫やー」少ししてイトウがやって来て草をゴリポンに渡しました。 「ヨモギ。これで傷口押さえとくといい」そして私達の顔ぶれを見てイトウが一言、 「ヨウちゃんどうした?」 ヨウちゃんだけ基地から逃げ遅れていたのです……。 次で最後ですが、ヨウちゃんから聞いた後日談という形になります。またマターリしてる時に。 私達が一斉に逃げ出した後、一人逃げ遅れたヨウちゃん。彼の身に一体何が起こったのか? 結論から言うと、婆に性的な手ほどきを「最後まで」されちゃったそうです。筆下ろしです。 「あのお婆さん狂ってるよ、狂ってるよ……」うわ言のように繰り返すヨウちゃんに 私達もそれ以上の事を聞く気にはなれませんでした。消防にして童貞喪失、しかも相手は とっくに干上がった上にどこかおかしい婆。ゴリポンの件と合わせて警察のご厄介確実 なんですが、「誰にも言わないで!」というヨウちゃんたっての希望により、この一件は 無かった事になりました。それで煮え切らないのは婆に切りつけられたゴリポン。 縫うほどの怪我では無かったものの、大きな傷の残った腹いせに婆の基地に放火しました。 不幸中の幸いか、放火当時基地にいなかった婆はちゃっかり別の基地に居着きましたとさ。 おしまい |
私が子供の頃(多分、5〜7歳) 父の帰宅時にかくれんぼをしてました 父の車が駐車場に入った音や、廊下の靴音が 聞こえたら、物置とかに隠れるの。 で、帰って来た父が、「どーこーだー」っつって 探してくれるという遊び。 で、その日も車の戸を閉める音がしたから、 ベランダに出てみたら、父帰宅の様子。 台所の母のアドバイスを受けながら、 その日は両親の部屋のタンスに隠れる事に。 タンスの奥に入って、かかってる洋服で 前を隠すようにしてた。 上がってくるまでには、ちょっと時間が かかるから、息を殺して待ってたわけよ。 そしたら、耳元に生暖かい風が吹きかけられ始めた。 なんていうか、電車の中の痴漢の鼻息みたいなのを もっと生臭くして激しくした感じ。 その時の私は、大きな犬が後ろにいると思ったけど。 (続き) もちろん、私の他に誰もいるわけがなく、 めちゃくちゃ怖くって、台所の母に 助けてってゆーのも言えなかった。 犬だと思ったから、動いたり大声上げたら 噛み付かれると思ったんだよね。 で、父の帰宅の声が聞こえて、いつもどおり 私を探し始めてくれました。 本当は直ぐに見つけられるんだろうけど、 私のためを思ってか、父はいつも見当違いの 場所を探しては「いないなぁ?」って やってくれるんだけど、その日ばかりは 直ぐにでも見つけて欲しかった。 結局、ほんの数分後には見つけてくれて その時には既に犬の気配は無くなってたんだけど 怖くてしばらくはタンスに近寄れませんでした。 両親に話しても、タンスを開いて見せて 「なにもいないよ?」って言うばかり。 その後、引越しをしてクローゼットが あるマンションになったので、タンスは 処分したんだけど・・・。 子供の頃の体験談でした。 |
大体朝4:00頃から自分のトラックにその日に運ぶ荷物を積みこんで 出発時間は日によって(コースによって)バラバラだからトラックの寝台で 仮眠するって生活続けてます。 この話は2年ほど前になるんですがちょうど節分が終わったばかりだったから 2月の中旬くらいのことだったと思います。 その日も出勤して倉庫に積まれてる荷を積みこんでたんですよ。 休日出勤だったんで事務所にも倉庫にも誰もいませんでした。 先輩も休出って聞いていたけど予定表をみたら昨夜の便で既に出ている。 オレは8:00までに出発すればよかったから積み込みが終わっていつものように 寝台で仮眠してました。 寝台っていうのは運転席と助手席のうしろにある空間のことなんですけど 寝台の更に後ろはすぐに荷台なんです。もっとも繋がっているわけじゃなく 壁を二枚挟む形になってるんですが。 それで、オレ寝台に横になってウトウトしてました。 日が昇ってくると眩しいから顔にタオルを乗せてたんです。 どのくらい寝たか覚えてないんですが突然荷台側の壁、というか荷台から ドンドンドンッ!って壁を叩く音が聞こえたんです。 その音で飛び起きて何事かと思ってすぐに確認したんです。 ウチの会社のトラックは幌車じゃなくてアルミキャビンなので開口部は後ろのゲートと を掛けてたんで荷台内に誰かが入ったとしたらハッチからしか入れません。 で、みたらハッチが開いてる。その時はまだ完全に頭が起きてないのもあって、 ハッチから顔だけ突っ込んで確認したけど誰もいませんでした。 荷物が荒らされた形跡もないですし、泥棒って訳でもない。 その1件ですっかり目が覚めちゃってコーヒーでも飲もうと思って事務所に行ったんです。 そうしたら先輩が休憩室のソファーで寝てました。昨夜でて今帰ってきたようでした。 (さっきの先輩の悪戯かよ!しかも寝たふりしてやがるし…) オレ寝起き悪いんでかなりムカツいて狸寝入りしてるであろう先輩を放置プレイして コーヒーも飲まずにとっとと配送に出発しました。 その日のルートは200kmほど走って5件の取引先に荷物を届けるコースです。 朝9:00に会社を出発して5件目の取引先に到着した時には20:00になってました。 実は途中でトラックのブレーキ(エアブレーキの方)が完全に逝っちゃって走れなく なったんです。空荷だったらなんとかなるんですが過積載気味(笑)に荷物積んでたんで とてもじゃないけど危ないからってことで急遽サービス会社に電話して路上で応急処置を してもらったんです。おかげで3軒目以降の取引先の店着時間をオーバーしちゃって クレームを頂いてしまいました。 そんなこんなで5件目でも小言を言われて頭を下げながら最期の荷物をその店に降ろして たんですが…。気づいたんですよね、そこで。 寝台で寝ていて荷台の壁の音で起きた。それなのに荷台一番奥(走行方向でいうと前)に 先輩の悪戯だったと思っていたのに、これじゃたとえ荷台内に入っても内側から キャビン裏の壁を叩くなんて真似は出来っこない。外から叩く事も構造上不可能なんです。 すーっと汗が引いていくのがわかりました。正直わけがわかりませんでした。 それでも仕事ですから荷物を全部降ろして、取引先のスタッフの方にもう一度お詫びして 帰ろうとしたんです。そしたら呼びとめられまして内心(まだ文句あるのかよ)とキレそうに なったんです。でも違いました。 スタッフの方「あの、荷台の中にお連れの方乗せたままでいいんですか…?」 そうきたかっ!って思いましたよ…。 オレ「いいんです!」 確認なんかしたくありませんでした。てか出来ませんでした。 ラジオをガンガンにかけて出来るだけ何も考えないように帰りましたよ。 会社についたけど休みの日だし誰もいっこない。 タイムカードを押して速攻帰ろうと思って事務所に行ったんです。 そしたら誰もいないと思ってた事務所に先輩がいたんです。 あの時ほど先輩の存在が嬉しかった事はありません。 すぐに気づきました。先輩の肌の色が生きている人間のそれじゃないってことに…。 そのあと一応救急車と警察を呼んで色々事情聴取みたいなことをして、結局家に帰ったのは 翌日の3時をまわってました。 翌日、翌々日と休暇を貰って翌翌々日ですか、出社したんです。 そこで初めて知ったんですが、先輩自殺だったらしいんです。 司法解剖の結果、体内からアルコールと眠剤だったか安定剤が大量に検出されたそうです。 死亡推定時刻はオレが先輩を見た(出発前の朝)3時間前後あとでした。 ということはあの時先輩はまだ生きていたことになるんです。後悔の念で涙が出ました。 あの時もしオレが先輩の異変に気づいていればもしかしたら…ってやつです。 でも、思ったんですよ。だったらあの壁を叩く音はなんだったんだろうって…。 さらに詳しく聞いた話だと先輩がアルコールと薬を摂取したのはオレが積み込みをしていた 時間だったって聞いたんです。あの音は先輩の悪戯だった可能性は低いってコトになるんです。 大体これから自殺をする人間がそんなお茶目な事をするなんて考え難いし。 そういえば最後の取引先でスタッフの方が変なことを言っていたのを思い出しました。 あの人にどんな人が荷台に乗っていたかを聞けば何かわかるかもしれない。 次に配送に行った時にさりげなく聞いてみよう。そう思いました。 結局それは実行出来なかったんですが。 出社したさらに翌日。警察の方から出頭要請がありました。なぜか社長も一緒です。 警察の方に聞いた話は衝撃的でした。当初先輩の自殺理由は誰も思い当たらなかったんです。 独身ですが一応カノジョもいるし、とても明るくて職場のムードメーカーでもありました。 家族や友人に聞いても誰も思い当たるふしはない。突発的な自殺、ということで片付けられる ところだったんです。しかし自殺動機が警察の方で浮かんだと言うのです。 先輩は自殺前々日の夜、飲みに出かけたらしいのですが(家族談)帰ってくるとすぐに出勤 したそうです。いつもより数時間はやく。 そしてその日。先輩の走ったコースの途中の山間部で老人の遺体が遺棄されているのが 見つかったそうです。遺体は損傷がひどく検死の結果交通事故に巻き込まれた可能性が高い ということでした。そうです、先輩が配送の途中でそこに遺棄したのです。 警察の調べで先輩の車のバンパー部分にあり、その部分の塗装と遺体の衣服に付着していた 塗装が一致したということでした。 警察の要請で会社のトラックを調べたところあるトラックの荷台内の床から血液反応が確認 されたそうです。 そのトラックはあの日オレが乗ったトラックでした。 あの叩く音が先輩の霊だったのか事故の被害者の霊だったのか、はたまたオレの気のせい だったのかはわかりません。いえ、もうどうでもいいです。 ボクは次の日会社を辞めました。もう2度とトラックには乗るつもりはありません。 ウチの方は田舎で車がないとなにも出来ないような土地柄なのですが、オレは出来るだけ 運転はしないようにしています。あのドンドンドン!という音が忘れられないとていうのも ありますが先輩の死後、お悔やみに行った時の家族やカノジョの顔。絶対に忘れられません。 車を運転している以上何時何処で殺人を犯してしまうかわかりません。 この話をする事でオレが伝えたかったのはその事です。 これを読んでくれた方。どうか車の運転には気をつけてください。 欺瞞かもしれませんがみなさんがこれで少しでも安全運転を意識してくださればきっと 被害者の方の供養にもなると思います。稚文な上に長文失礼しました。 |
当時4歳半だった宮崎は夜中に起こされ、父、母、叔父、6歳の兄と3歳の弟とともに私鉄のガード下に避難したという。 町外れだから焼夷弾もそこには降ってはこないだろう、と。 しかし、そこも危ないという話になり、叔父が工場に戻って(すでに燃えていたという)小さなトラックを動かし、ガード下まで運転してきたという。 これで町から逃げよう、と。 「そしたらそのガードの所に他にも何人か避難していまして、僕はその辺の記憶はもう定かじゃないんですけども、確かに『乗せてください』っていう女の人の声を聞いたんです。 その時に自分が見たのか、何かで親が話をしてる時にそれを見たように思ったのかわかりませんけれども、 とにかく女の子を一人抱いてるおばさん、顔見知りの近所の人が『乗せてください』って駈け寄って来たんです。でも、そのまま車は走ってしまったんです」 一家は難を逃れた。郊外の畑のなかまで逃げて、そこで空を見ると、すでに夜だったにもかわらず、ある部分だけが夕焼けのように明るかったという。 空襲で燃え落ちていく宇都宮がそこにあるのだ。 そう思って見ていた記憶があるという。 |
前:逃げろ〜
投稿日:02/02/24 15:54
喫茶店での話。 普通に時間つぶしてたところ隣のテーブルでなにやら物音。 カリカリカリという音。最初は特に気にもならなかったので本を読んでいた。 が30分ほどたっても消えない。気になって振り向いたところ、びびりました 爪を食べてます。しかも量が尋常じゃない。牛乳パック(1リットルのやつ) の口を開いた状態のやつにはちきれんばかりにはいってます。 それも切った状態の爪じゃない。そのままはがしたような完璧な形で。 それを無心に食べていた。 それを食べていたのは30前の普通の女性。服装などにもおかしいところはない。 女性の前にはコーヒーらしきカップもおいてある。 でもなにより驚いたのはじぃっとこっちの首のあたりを見ていること。 恐怖より驚きが勝って、しばらく凝視していましたがそのうちに恐怖がきて慌てて目をそらしました いったいなぜ爪なんかを・・・。そしてなんで睨まれているんだ・・。 自分の身に危険を感じ、そうそうに喫茶店を出ました。 続く 人通りも多く、安心したのもつかの間。 女が、いる。 駅の改札に。こちらを待つように。 でも人も多い、変な事はされないはず・・・ そう思いできるだけ避けて改札を通り、ホームについた。 幸いにもホームにあの女の姿はなく、そのまま電車が到着した。 ほっとして席にへたりこんだ瞬間に、来ました。女が。 駆け込みながら電車に乗ってきました。 こっちはパニックに陥ってしまった。 席に座ったまま、どうにかしなければ・・・と思っているとあの女が目の前に立ち、つり革を握っていた。 凍りつきました・・・ 女は何もいわず、見せ付けるように牛乳パックを出し、爪を食べ始めました・・ 結局そのまま電車は走り、女はなにもしてこなかった。爪を食べるだけで。 自分は目的地の2つ前の駅で意をけっして女を軽く押しのけ、降りました 女は追ってはきませんでした |
忘れもしません。5日ほど前の深夜のことです。 このスレを見つけて怖い話をいっぱい見て すっかり夜寝るのが怖くなった私。 このままじゃ寝れないなぁ〜なんて思い、 ふと、数日前落としたエロゲー(鬼畜系のエロゲー)のことを思い出しました。 ただ落としただけじゃ、勿体ないよなぁ〜と思い、やることにしました。 DAEMON→イメージをマウント→(゜д゜)ウマー さあ、準備完了。やり始めました。 部屋を暗くして雰囲気作りにも精が出ます。 そして、ゲームも自分も架橋に入りました。 マウスを左手に持ち替えようとしたその時、 背後に視線を感じます・・。 瞬時にこのスレの事を思い出し、恐怖で後ろが見れなくなりました。 視線は離れません。ジーーと見ているんです。いや、見てる感じがするんです。 5分ぐらい凍っていると、ふいに視線が無くなったように思いました。 そして勇気を出して後ろを振り返ってみると・・・・・ 誰もいません。 な〜んだと思い、ドアを空けて確認しようとドアの裏側を見た瞬間!!! 私は一瞬、凍り付きました・・。 オカンがおる。一体これは?と思っていると オカンは見つかったことに対し開き直り 「アンタ、パソコンでそんなことやってんねんね。」 と一言残して去って行きました・・。 |
高校を卒業して以来実家には一度も帰省せず、実家からの連絡といえば時折来る父の電話ぐらいでした。 私の生家はいわゆる旧家という奴で、昔風な言い方をすれば庄屋と言うところだと思います。 私の生まれ育った集落は月山、出羽山、湯殿山に囲まれており、昔から霊山といわれるだけあり、 子供の頃からずいぶん神社などにまつわる神的な行事が執り行われていました。 私の父はそういった行事の度に近所のとりまとめ的な物をやっていて、 そういった時の父の顔を見ると子供心に妙な恐怖心を感じていました。そんな中でも特に 「言霊返り」という儀式があり、死者を蘇らせる儀式がありました。 この儀式は集落でも選ばれた物しか参加が出来なくて、 子供であった私にはそれがどんな物であるかは知るよしがなかったのです。 それは5年ごとに行われる儀式でしたので、 高校ぐらいの時にちょうどそれが行われる年があったのですが、 私がいくら参加の意志を伝えても父は首を縦には振らないと言うことがありました。 結局そのまま私は東京の大学に進み、現在の職に就いているのですが、 昨年の夏に急に実家の妹から電話があり、 「兄ちゃん、今年は帰ってこないの?何だか父さんの様子が変なんだよ」 というので、「いったい何がどう変なんだ?」と聞き返したのですが、 妹の話がどうも釈然としない説明なのです。 「今年は言霊返りだよ、何かその準備で父さん仕事もそっちのけなんだよ」 「言霊返り」・・その言葉を聞くのはあの高校の時の夏以来でした。 その夏に実に5年ぶりに実家に帰省することにしました。 実家についてみるとあの時のまま何も変わらない風景が 私の前に広がり、何だか太古の昔から変わっていないような 気もしました。その瞬間携帯が鳴り、 急に私は現代の生活に苦笑しました。電話は父からで、 社の方で飲み会を近所の集としているから おまえも来いとのことでした。 妹の話とは裏腹に特段変化のない父の声を聞き、 何だか帰ってきたことに 後悔を感じつつも私は社に向かいました。 社では幾分老けた父と近所の方々がすでに上機嫌で待っており、 「Hちゃん元気か?今年の言霊返りはやっと参加するんだな」 と叔父が私に向かい言うのです。いきなり参加するんだと言われても 何も状況が読めない私は父に「どういう事?」と尋ねるのですが、 父の方はとりつく島もないというか、ただただ「そういうことだ」 と酒をあおるばかりでした。 久しぶりに帰ってきて急に訳のわからないことを言われた私は 少し不機嫌になり、その場を早急に離れ、実家の方に向かいました。 その道すがら墓地の前を通るのですが、久しぶりに墓参りでも していこうという気になり、家の墓の前に立ち、手を合わせました 。ふと墓の横に掘ってある、自分の祖父や祖母の名前を見たのですが、 どの戒名も、祖父や祖母に限らずそのもっと前の祖先の全ての戒名に 「鬼」という文字が含まれているのです。私はこの文字にとても 不自然な気がしました。だいたい仏になる人に鬼なんて文字を 使うんだろうか? 声の方に向きました。声の主は高校の時の同級生のIでした。 Iの家も私の家と同様に行事ごとにとりまとめる家でした。 だいたい子供の頃からこいつとはそりが合わず、 嫌悪すら感じる相手でしたが、久しぶりに見るIは 私よりかなり老け込んで見えました。 おまえもやっと今年参加するんだろ」、 「明日の夜は忙しいぜ、暗夜鬼の盃をうけなやならんしな」 一体こいつは何を話しているんだ? こんな場所にずっと閉じこもって 年寄りじみちまったんじゃないか? そんな私を後にしてIは来た道を立ち去っていきました。 「言霊返り」、「暗夜鬼」・・・・ 何だけ帰省したこと自体間違いだったなと、 とぼとぼ生家に向かいました。 |
名前:逝く雄 ◆jan/9fR2
投稿日:02/02/26 08:51
ま、何かの足しにでもなればと思い書いてみます。 話に「落ち」が無いので、すっきりしないで気持ち悪いかもしれませんが。 あれはどのくらい前になるだろうか 多分もう十年も前になるか・・・私は当時1つ下の職場の後輩とともにキャンプに出かけていた。 場所は言わずと知れた樹海のほとり、オウム騒ぎで有名になる前の上九一色村だった。 キャンプ自体は何の問題もなかった。面白おかしく2日間を楽しんだ。おかしな物音も、 妙な人影も見なかった。もとよりハナから信じてなどいなかったが。 2日目、風穴やら氷穴やらぶらぶら観光らしきことをしながら帰ろうじゃないかということになり ついでながら樹海散策といこうということで、風穴横の入り口から行ける小道にほんの軽い 気持ちで入り込んだ。 話に聞いていた自殺を思いとどめるための看板群などを見ながらぶらぶら歩き、写真をとった りして楽しんだ後、もときた道を引き返し元の風穴に戻った。もちろん散策道から外れて樹海 に分け入るようなことはしていない。 問題は2日後に起こった。 夜になって、一緒に行った後輩がアパートの部屋に飛び込んできた。紙のように真っ青な顔で、 驚いたことに頭をはじめ、あちこち包帯だらけであった。 「まずいですよ、まずいですよ、変な写真撮れちゃいましたよ」 樹海散策の記念にと散策路を撮ったものだった。消失点をアングル中央に持つ遠近法で撮られ た物で、一枚目、二枚目は全く同じ、露出も適正。三枚目だけが同じアングルながら明らかな 露出不足で全体的に暗い。この三枚目がまさに問題の写真だった。 「右側の手前の木の陰なんですけどね」 彼から写真を受け取った私は蛍光灯の真下で穴のあくほど凝視した。 なんでもない失敗写真にしか見えない、(木の陰、木の陰・・・と) 「!」 居る! 木の陰だ!おぼろげながらしゃがんだ男の半身が見える! 明らかに人であることがわかった瞬間、冷水でもかぶったように全身に鳥肌が立った。 なんだか足元がぐらぐらする。 いったん形がわかるとどんどん細かいところまで見えてくる。背中に文字か書かれたシャツ を着てること、やや左向き加減であること、髪が短いこと・・・ うなじあたりの髪の生え際や耳の形までよくわかる。 どうですかといわれてもあまりに明らかなため「う」とか「ぐ」としか声が出ない。 「実は・・・」 彼はおずおずと切り出した。事故だと言った。 雨で路面が濡れていたとはいえ、いつもの通り道で、カーブで何回転か横転してしまうような 事故を起こしてしまったという。(翌日見に行ったら彼の車は逆さまになっていた、即廃車で ある)あちこちの包帯はそのせいだったのだ。 幸い通行人がいなかったのとシートベルトをしていたおかげで、本人のみ数箇所の裂傷という 事で済んだが、妙な男が写った写真のこともあり気持ち悪いったらない。 その後彼はほどなく会社をやめ、故郷に帰っていった。 事故との因果関係は未だにわからない。その後彼がどうなったのかも不明。 以来写真は何の解決も得られぬまま忘れ去られることになった。 それがたまたま今回部屋の片づけで思いがけず日の目を見ることになったのである。 写真のなぞは依然不明のままです(今まで誰にも見せてませんでしたから) |
ある夏の日の午後、私は日差しのよく入る部屋で寝ていました。
それから、しばらくして目覚めた。すると隣には自分が寝ています。 ・・ん?何でだ?と思っているとまた目が覚めました。 すると、また隣には自分が寝ています。 それが繰り返され、やっと7回目ぐらいに完全に目覚めることが出来ました。 隣にいたのは冷たくなっていた猫でした。 |
これは高校の時、後輩が体験したほんとの話。
親戚と夏休みに集まった時、子ども達で「肝だめししよー!」ってことになったんだって。 で、お決まりのパターン。夜、墓地に何人かできゃあきゃあ言いながら行ったら 墓地の奥のほうがなんか明るいような気がする。「?」 どきどきしながら奥が見えるように進んだら「人魂」としかいえないような 光がふわふわ消えたり、ついたりしながら浮かんでいた。「!!!」 本当に怖いとき、人は固まっちゃうみたいで、勇気のある子は「逃げようっ」 って動けたんだけど何人かは腰が抜けちゃって、その場を動けなかったんだって。 それでほっとくわけにも行かないし、泣き出したりパニックになる子もいて とうとう警察を呼んじゃったんだって。 そのあと警察がその「人魂」のあたりを調べたら 宮崎勉事件でばらばらにされた子どもの体の一部が発見された。 腐敗した時に出たガスが燃えていたらしいんだけど・・・。 |
首のすぐ横の肩のところにほぼ頭と同じくらいの大きさの瘤ができていた。 その人が歩くたびに瘤もゆらゆらゆれていた。 何より異様だったのは・・・。 その瘤に帽子をかぶせていたこと。頭にもおそろいの帽子をかぶって・・・。 あまりの異様さについ振り返ってじっとみてしまった。 今でもあれが本当だったのか疑わしく思うときがある。 |
イカつりに行ったんす、石川県の某町にある海岸へ。
その日は朝からいたけど全然だめ、一匹も釣れない・・。 こりゃだめだと思い帰ろうとしたら海の向こうのほうでキラキラなんか光ってるんです。 足場の悪い岩場のところなんだけど行ってみた。 そしたらいるんです、イカが、すげ〜たくさん、何百匹も! マジかよ?と喜び勇んで竿を振り下ろしたんです、そしたら、 ググッっとすごい勢いで食いついてきたよ、そりゃすごい勢いだった。 だけどね、あまりにすごい引きなんでね、海に引き込まれるくらいだったのね。 糸切れなきゃマジで海落ちてたよ。 で、もう一度針を糸につけてる最中見たのね、イカの大群を、いや人の手を・・。 |
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都市伝くさいが。 ある男が酒をのんで熟睡している。 ふと顔に何かかかるので寝ぼけながら払いのけた。 しばらくするとまた顔に、かかる・・・・。払いのける。 数回繰り返しているうちに、 ・・・・髪の毛だ。・・・・・・・・・・・・・・・長い。 醒めつつある頭で、昨夜を思い出すが女と一緒に寝た記憶はない。 それとも酒の勢いで? 暗がりの中、相変わらず顔にかかる髪の毛を握って、つっと引っ張ってみる。 手の感触から髪の毛の主は「・・・・自分の横に寝ていない」。 「髪の毛が、天井から垂れ下がってる・・・・・?」 男は暖簾のような髪の毛を払い、起き上がって部屋の電気をつけた。 ・・・・・・・異常にながい髪の毛が天井から垂れ下がっていた。 髪の毛をたどっていくと、ちょうど水面から鼻下あたりまで顔を出すように 天井から、まっすぐ凝視した女の顔がさかさまに出ていた。 瞬きもなく・・・。 何なのかわからず男はみつめていた。ふと髪の毛を引っ張ってみる。 確かな手ごたえが返ってきた。 わけわからないまま、部屋をでて隣の友人を呼びにいく途中でひざが震え出した。 が、二人して返ってくるとそこにはもう何もなかったのである・・・。 こんな話でした。 |
それじゃとりあえず小さいころ不思議に思ったこと。 小学生だった頃、夏休みや冬休みといった長い休みになると、いとこ達の家に何日も泊りがけで 行ったり来たりしていた。 夏休み前半をいとこ達が私のうちで過ごし、後半に私がいとこ達の家に泊まりに行ったときの事。 いとこ達の家は周りが林で、広い庭に何本も木(ケヤキ?)が植えてあるような田舎の広い家だっ た。 いとこ達は5人、私を含めると6人にもなる、我々はは田舎の子供らしく、かくれんぼや缶けり、魚釣りなどで一日の大半を過ごし、それこそ暗くなるまで遊びまくる毎日だった。 泊まっていたのは五日ほど。その間「あなたの知らない世界」や24時間テレビの手塚アニメを 見た気がする(違う年かも) ひとつ気になったのは、窓から見えるケヤキ(?)の大木のはるか高いところ、屋根のてっぺんに 近かったから7〜8メートル位か、太い幹から最初に枝分かれしたところになぜかお地蔵さんが ちょこんと乗ってる事だった。石でできているのか木でできてるのかは判別できなかったが 木と同じような色をしていた。 置かれてる場所さえ気にしなかったら、ごくフツウの顔をして、ごく普通の格好をした、やや 小ぶりの当たり前のお地蔵さんだった。 毎日見るたび、どうやって置いたのかな?はしごを繋げたのかな?木登りして置いたのかな? それとも木がまだ小さかった頃置いたのが、だんだん大きくなってあんな高いところに 行っちゃったのかな?・・・・でもあんな高いところじゃお供えとかできないよな・・・などと 子供らしい空想を膨らませたりしていたが、いったん目を離すと、とたんに遊びに夢中になり すぐさま忘れる毎日だった。 ただそれだけで、何故か木の上にお地蔵さんが乗せてあったというだけの話なんだが 帰るとき急に思い出して、そばにいた伯母さんに聞いてみた。 「何であんな木の上なんかにお地蔵さん置いてあんの?」 「ハァ?お地蔵さん?どこ、どこ?」 そのうちいとこ達もやってきて 「あー?木の上にお地蔵さん?夢でも見たんじゃねーの?あはははは」 最初は指差して説明してた私だが、ハッと嫌なものを感じ、ごにょごにょごまかし 尻すぼみになって説明を引っ込めてしまった。 (まさか、見えてるの自分だけ?) 散々見ていたお地蔵さんが急に怖くなり、目を伏せると二度と木の方を向かなかった。 そのままお地蔵さんのいる木を見ずに帰り、その後泊まりに行く事は無くなった。 (今思えば小6だったのかな) 今じゃいとこ達は家を出て独立しているため、めったにその家に行く事はなくなったが たまに行く用事があるときは少し緊張する。 あの木はまだあるんだろうか? |
4日目にお堂を見つけて勝手に一晩明かした。 深夜。目を瞑っているがまだ寝付いてはいない。 そんな時、自分の周りを数十人の年寄りが正座して 車座になって取り囲んでいる場面がなぜだかフッと頭をよぎった。 空想?いや、違う!確実に何かボソボソ呟いている声が聴こえる。 この嫌な予兆を振り払う為に精いっぱいの勇気を持って目を開けた。 無表情な無数の年寄りの顔が一斉に俺を覗き込んでいた。 気が付くと朝。勿論自分一人きり。悪い夢だと思う事にした。 それでも恐怖のあまり早々に下山してしまった。 |
A高校は新学期から一年生が1クラス増え、
その教室は今まで教材置き場としてしか使われたことのなかった教室だった。 梅雨に入った6月の半ばごろ、そのクラスのTは早めに学校についた。 教室に入ると早く来たせいか誰もいない。ふと黒板を見ると赤いチョークで 「呪」という字が大きく書かれていた。Tは何かの悪戯だろうとそれを消した。 翌日、Tが朝一番に教室に入ると、またそれはあった。 Tはすぐに消したのだが、気味悪く思い、朝は学校を遅めに出る事にした。 それから三日後、Tが教室に入ると、黒板には最初に見た時と同じように 「呪」の文字があった。ただ違うのはその字が赤いチョークよりももっと濃い赤で まだ乾いていない絵の具のようなもので書かれていた事だった。 既に登校していたクラスメートも何人かまわりに集まっていた。 その日一番最初に登校したSに話を聞くと、 「ここ3日ほど最初に教室に来てて、「呪」の字を消してたのだけど、 気味悪い悪戯だから今日はこのまま残して、 先生やみんなに見てもらおうと思った。」と言った。 朝のHRが始まるころには、クラスの大半が登校していて、字を見てざわついていた。 担任が教室に入ると、字を見て「誰がこんな事をしたのか?」と言い、 TとSが今までの事をみんなに説明した。 担任が職員会議にその話を持ち込むと 夜中に誰かが忍び込んで悪戯するのだろうという事になり、 その教室は学校が終わると鍵をつけることになった。 しかし、鍵をつけたのにも関わらず、次の日も「呪」の文字はあった。 その字は赤黒く、黒板にこびりついて容易には消せなかった。 その日の授業で突然Tが狂ったようにわめき暴れ出し何人かの教師におさえられ、 救急車で運ばれていった。 さらに次の日、学校が終わったらその教室に鍵をかけて、 夜に校内を見回る宿直の教師がその教室の前で死んでいた。 死因はショック死だった。 生徒は混乱し、「呪」の祟りだと一時パニック状態になった。 そのクラスは臨時に教室を視聴覚室に替えることになったが、 霊がいるだの、学校に来なくなる生徒が増え、 PTAにまで噂がのぼり、霊媒師にお払いしてもらう事になった。 つづく
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名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・
投稿日:02/03/14 20:44
マンガが流行っていました。うちの息子(36歳、無職)も、「さくら たんハァハァ」と一生懸命見ています。だいぶ前に終わったのに、 ビデオ屋などに行くと、根強い人気を持っているとのこと。 さて、「さくら」という名前を女の子に付ける親が、ここのところ急 増したと、先日の「朝日新聞」に書いてありました。今の若い人は知 らないと思いますが、桜は戦争=軍国主義のシンボルでした。アジア の人々の心をあざ笑うかのように、最近の靖国公式参拝を公言し、異 を唱える市民を「頭のおかしい人」と冷笑するタカ派の小泉首相の異 常な人気を考えると、さもありなんという気がします。 このマンガは、主人公の女の子がいきなり「あんたはカードキャプ ターや!」と有無を言わさず言われて、戦わされます。私はふと、か つて若者が「赤紙」1枚で無理やり兵隊に取られた過去を思い出しま した。そんな時代はもういやです。スタッフの皆さんには、戦争で亡 くなった方はいないのでしょうか。平和を愛する人間らしい気持ちは ないのですか!なによりも平和が一番です! また、「愛がなくなるなんて悲しすぎるよ」と言って、悪役と戦う シーンがありますが、侵略戦争はいつも「お国のため」といったきれ い事のもとに行なわれるのです。このマンガが、軍国主義を扇動して いる危険なマンガに見えるのは、私だけでしょうか。 NHKは不偏不党と言うのは、真っ赤なうそだと、本多勝一さんも書 いておられます。実際には、世界に誇る平和憲法をないがしろにする、 危険なマンガを垂れ流しているのです。 私には、NHKをつけると映ってくる、この小さな女の子の「は にゃーん」という声が、若者を戦争へと駆り立てる軍靴の足音に聞こ えてなりません。カードキャプターならぬ、赤紙キャプター「同期の 桜」の時代はもうたくさんです! |
先日かなりすごい集落を発見してしまいました 先週の土曜日に友人と2人で、サイクリングに行った時でした。 その日は、今まで行ったことのない方ない方へと道を進んでいこうということになったんです。 たぶん場所としては、青島から、北郷町あたりだと思うんですが 道がどんどん狭くなってきて、まず、舗装された道がなくなり、電信柱がなくなり、、、と、どんどん山奥の方に入っていったんです。 2時間くらい入ったところで、道が、2手に分かれていて、一方が、なぜか立ち入り禁止の看板があったので、何も考えずにもう一方の道に進んでいったんですが、 それが間違いでした。 その時気づけばよかったんですが、そのときの私達は、散策に夢中でそんなことそっちのけでした。 だって、普通そんなところに看板なんて普通ないですよね。 数十分くらいたったとき、なんかとっても嫌な雰囲気を感じたんです。 友人もなんかやばいところに入って来てしまった、といっていました。 だって、着物(振袖)が、そこらじゅうに捨ててあるんです。 そこで、私達は、立ち止まったんですが、なぜか行ってみようということいなったんです。 そこからすぐでした。 ものすごく、というか、この時代にというべきかもしれないんですが、 廃墟のような家が、4軒あったんです。 これはやばいと思った私達は、引き返そうとしたその時、 かさかさ、と、おとがして、見ると、髪がぼうぼうのおばあさんが、 こっちを見てました。 冷静さを失った私達は、逃げるようにしゅっぱつしたんですが、 後ろから、なんていっていいのかわからないような、声が聞こえてきましたが、 それどころじゃなく、アスファルトのあるところまで、一目散に逃げてきました。 本当に怖い経験でした。 今日、その友人ともう一度、そこにいってみます。 新しいことがわかり次第、報告します。
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最初にお願いと注意を。
この文章を読む前に、身近なところに時計があるかどうか確認してもらいたい。 十分、二十分が命取りになりかねないので。では・・・ 先月、高校時代の友人がポックリ病で逝ってしまい、通夜の席で十数年ぶりに 集まった同級生の、誰からともなく「そのうち皆で呑もうなんていってるうちに、 もう3人も死んじまった。本気で来月あたり集まって呑もうよ」という話になった。 言い出しっぺのAという男が幹事になって話しは進行中だが、 なかなか全員(男5、女3)のスケジュール調整がつかない。 今年の夏はくそ暑いし、9月に入ってからにしようかと、幹事のAと今昼飯を いっしょに食べながら話し合った。 そのときビールなんか呑んだのが、間違いだった。 Aが、ふと言わなくてもいいことをつい口に出し、おれは酔った勢いで、 それに突っ込んだ。 それは先月死んだ友人に先立つこと十年、学生時代に死んだBとCのカップルのことだった。 十年前AはB(男)の家(一人暮らしのアパート)で、Cと三人で酒を呑んだ。 直後、BCは交通事故で死亡。 Bの酔っ払い運転による事故という惨事だった。 Aはその事故の第一発見者でもある。 おれは、2ちゃんねるのことをAに説明し、事故の第一発見者のスレッドに書き込めと、 悪趣味な提案をしたのだ。 すると、Aはたちまちにして顔面蒼白となり「冗談じゃない!」と本気で怒り出した。 おれは、いささか鼻白み「むきになんなよ」と言い返したが、Aの怒りは収まらず 「じゃあ、あのときの話を聞かせてやるが、後悔するなよ」と言って、 恐ろしい早口で話し出したのだ。 Aのはなし おれ(A)がBCと呑んでいたとき、D先輩がいきなりBのアパートを訪ねてきた。 顔面真っ青で、突然「おまえ等、裏返しの話を知ってるか」と話し出した。 そのときおれは、酒を買い足しにいこうとしたときだった。Dさんが止める様子も ないので、缶酎ハイを買いに出て、十五分ばかり中座した。部屋に戻ると、 Dさんは大分くつろいだ様子で、おれが買ってきた酎ハイを喉を鳴らして一気に呑んだ。 「なんの話だったんですか?」「だから裏返しだよ」「裏返し?」 「裏返しになって死んだ死体見たことあるか?」「・・・いいえ。なんですか、それ?」 「靴下みたいに、一瞬にして裏返しになって死ぬんだよ」 「まさか。なんで、そんなことになるんですか?」先輩は、くっくと喉を鳴らして笑った。 「この話を聞いて、二時間以内に、他の人間にこの話をしないと、そういう目にあうんだ」 「不幸の手紙ですか?」 おれは本気にしたわけではないが、聞き返した。今なら「リング」ですか? と言うところか。 「なんとでも言え。とにかく、おれはもう大丈夫だ。もさもさしてないで、おまえ等も話しにいった方がいいぞ」 なにか白けた感じになったが、買い足してきた分の酎ハイを呑み干して、宴会はお開きになった。 先輩はバイクで去り、BCはBのサニーに乗った。スタートした直後、サニーは電柱に衝突した。 呑み過ぎたのかと思い、すぐに駆け寄ってみると、BCは血まみれになっていた。 そんな大事故には見えなかったので、おれは少なからず驚いた。 いや、もっと驚いたのは二人がマッパだったってことだ。 カーセックスなんて言葉も浮かんだが、そうでないことはすぐに分った。 二人は、完全に裏返しになっていたのだ。おれは大声で叫んだ。 「裏返しだ!裏返しで死んでる!」すぐに人が集まってきて、現場を覗き込んで、 おれと同じ言葉を繰り返した。だから、皆助かったのだろう。 Aは逃げるように帰って言った。おれはこんな話むろん信じないが、一応このスレッドを立てて、予防しておく。 後は、04:30分までに誰かが読んでくれればいいのだ。 肝心な部分を読んでいないとカウントできない。読んだ方。一応後何時間あるか、時計でご確認を・・・ |
小学校6年の時、卒業間近の大掃除があった。教室の備え付けのストーブに
壁まで伸びてる配管があって、その壁の下には灰が溜まるところらしき 空間があった。俺は先生に「ここも掃除するんですか?」と聞いた。 先生は「あー?そうそう適当にやっといて」と生返事。 そして俺はそこを開けて見た…そこにはなんと… 雀やらなにやらの鳥系小動物の白骨が大量に溜まっていた! それだけならまだ大丈夫だったが、大量のゴキブリまでもが発生していたのだ。 その瞬間近くにいた女子の悲鳴と同時にゴキ逃走! 教室内はパニック状態一時騒然…俺はあれ以来得体の知れない引出しを 開けることとゴキブリが怖くなった…トラウマ鬱… |
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