僕らがラジオを愛した理由

当時の僕ら

私は1980年生まれである。 当時は「ながら族」だとか深夜ラジオだとか、若者の間で多少なりともラジオが流行った。 そして僕もラジオをこよなく愛していた人間で有る。 家に帰ればラジオをつけ勉強そっちのけで野球中継に熱狂し、 宮川賢の話に腹を抱えた。 夜は早々と布団に入って、ラジオドラマに思いを馳せ、伊集院光の話に感心し、 ラジオ深夜便で戦時中の話に耳を傾けた。ゲームよりもラジオを聞いていた。
どうしてラジオにそこまで依存していたのか? 自分の場合は…ということでしか 語れぬが、書き綴ってみよう。

僕の場合というのは、僕に特殊な事情がある。ラジオにハマった中学生時代、 非道く虐められていたのである。イジメの内容については小生の履歴あたりを見てもらいたい。 そして高校になってもイジメの後遺症を引きずりつつラジオに依存していた。そういう 前提を頭に入れて読んでいただきたい。

親近感

「ラジオはテレビと違って親近感がある」 よく言われた言葉である。いまでも同じようにいわれているのであろうか?  この親近感、どこで生まれるのか、どこに親近感が感じられるのか考えてみる。

ラジオに求めたもの

NHK/AMには「音楽は3曲以上連続では流すな」という教訓があるらしい。 NHKラジオの最大の聴視者は独居老人である。寂しくて、親近感を味わいたくて聞きいているのである。 彼らの寂しさを紛らわせるのは、人の話し声である。しかもリアルタイムで話しているということである。 独居老人たちと、虐められていた僕は、同じものを求めていた。 虐められ、周りに話す人もなく、むしろ自ら世の中を拒絶し孤独になっていった。 だから味方もなく親も信じられず、あまつさえ自分自身を失いつつあった。 理解者がいないばかりか、自分自身を信じられない寂しさ。そして明日もイジメっ子がいる 学校に行かねばならない不安。挫折してしまった人生の将来に対する不安。 寂しさと不安の解消をラジオに求めた。
求めたと書いたが、当時は求める先がラジオしかなかったのである。 ネットがなかったので、無条件に他人の話を聞けるのはラジオしかなかった。 TVでも話は聞けるだろうという意見はあるとおもう。次はラジオの特徴について書く。

親近感の元

TVに比べラジオは親近感があるという。 生放送が多いのもあるかもしれないが、テレビだって生放送はある。 しかしラジオには映像がないゆえの特色もある。
@ ラジオはテレビより規制が緩い。有名なタレントが、 私情を語ったりいつもとは違う分野の話をしたり、時にはシモネタも言う。 話し手がテレビでの仕事よりも、 ずっとこちら側に歩み寄ってきたように感じられるのだ。
ATVで無名なタレントも出る。 有名なタレントは、いくら私情の話をしても「でもこいつは勝ち組だし…」 という心情がどうしても芽生える。ラジオの喋りてでもフリーターよりは全然良いが、 テレビタレントと比べるとやはり自分たちに近い気がする。 彼らの生活感ただようはなし、貧乏話、素朴な疑問や問題定義に、 同調しやすいのである。時にネガティブな話や、半社会的な意見を 述べることもある。そんな時に、僕ら社会のマイノリティーはより共感できた。
Bリスナーからのお手紙。無名といえどDJをしているプロと違い、 手紙を送ってくるのは完全に自分と同じ立場の人間だ。 そんな奴らが、ネガティブな意見や自虐的な文章を送ってきて、それが読み上げられるのである。 「俺と同じような奴も世の中にいるんだなぁ。お前らもなんとか生きてるんだなぁ」 と共感を得られる。

TVで話せないことをタレントが語るからこそ人間味を感じる。 ネガティブな放送で 我々が学校生活でとても語れない、心で思っていることを聞く、あるいは手紙にしたためる。 同種の人間がいることに安心する。これが親近感につながっていると思う。
なお、当時は深夜ラジオのアニメ枠が流行った。 当時は彼らもマイノリティーな扱いで卑下される立場だった。 単純にアニメ放送を楽しむだけじゃなく、オタという身分の心のネットワークになっていたのではなかろうか。

ラジオは抗うつ剤

虐められて生活しているとき。 禿ヒッキーをしているとき。私は絶やすこと無くラジオを聞いていた。 人の話し声で、不安や寂しさや孤独感を紛らわせていた。 イジメっ子がいる学校に行かねばならないこと思考の外へ追い出していた。
振り返ってみるとラジオは抗うつ剤の役目を果たしていたと思う。 陰鬱とした感情を和らげる。ただし一時的にだ。 いくらラジオを聞いても抜本的な解決には至らない。
そしてラジオは鬱病という病人の体に優しかった。 いじめられている最中なんて、とても何かをアクティブにやる気にならない。 その点ラジオは都合がよい。布団に入って、目を閉じて、耳をすませば良いのである。 ゲームやTVと違って格別な面白さも無いから 「面白くて集中してやってたらもうこんな時間だ…嫌な投稿時間までもうすぐだ」 というようなことがない。
ラジオの友は真の友。当に小生にとってはラジオが友だった。 親も何も味方してくれない。ラジオと言う抗うつ剤にひたすら頼るだけだった。 結果的にそれで良かったのか悪かったのか…ラジオを聞いて気を紛らわせていたが故に 真剣に考えたり決断するのが遅くなったのかもしれない。ラジオを聞いていたから 自暴自棄にならず自殺や話題になるような事件を起こさずに住んだのかもしれない。

僕らがラジオを愛した理由。それはラジオがマイノリティーの受け皿だったから。

番外編

僕らがラジオを効かなくなった理由

インターネット、もとい2chができたからだろう。
ネットの世界は広い。ラジオでは無理だった、 より細分化した上で自分に近い人と語り合えるようになった。 有名人ではない自分と同じような奴と直接やり取りできるようになった。 そして 「でもお前は勝ち組じゃん」みたいに思えるような 気にくわない人間の話や手紙を聞かなくてよくなった。 すなわちラジオよりネットのほうが、親近感を感じられるということである。 喪板では「ネガティブで癒される。自虐で安心する」という意見がたまに見られたが、 当に小生が求めるものである。
しかし今は我が愛する喪板でも学生やユトリの流入でネガティブが抜けてしまった。 さてさて私はどこへゆけば良いのやら。ここいらでもう一度、現実世界に 向き直れということなのかもしれない。現実世界での親近感…心の癒し。 文章家希望の小生に戻れと言うことか。そんなことを考えながら、 自分を満足させるためだけにHPなぞを作っている。

ハゲおっさんが愛したラジオ

ラジオ深夜便……夜中に人の話し声が聞ける。 戦中の壮絶な体験などによく感心させられた。

笹野みちるのアップス……イジメや人生終わってる奴からの 手紙がリアリティありすぎてすごかった。 リア充の手紙もあり、同年代間での格差を感じられた。

伊集院光のアップス……本人は勝ち組だが、 そのネガティブ感、社会に対する素朴な意見、そして寄せられる手紙に共感した。

ラジオドラマ……青春アドベンチャー,FMシアター,名作座  布団の中で耳を傾け、頭に映像を描くのは魅惑の時間だった。 本当に有意義な時間の使い方だと思う。今はその想像力さえ失ってしまった…



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