人間考察
リア充を目指す/目指さぬ底辺

10/04/07

議題

ダメ系サイト管理人や、実際に底辺職についている人間。 或いはニート・フリーター生活を送るもの、私の嫌いなメンヘラ含め、 底辺人間の中でもチャンスがあればリア充になろうとする人とそうでない人がいる。
その違いはいったい何なのか。根本的な違いはあるのだろうか。私なりに考察分析してみた。
ちなみにここで言うリア充は、ことばどおりの「リアル生活が充実している」 という意味合いより、ネット上で使われるニュアンス、つまり 女や結婚や人付き合いに積極的だという意味であり、 孤独だけど休日を楽しんでいるような人間はリア充には含まないものとする。

底辺からリア充を目指すものたちの実在

リア充を目指している様子がパソコンで 見れるのが、ダメ系サイトだ。
彼らはダメだダメだといい、就職や生活を律することは怠けながら、 女からの書き込みやメールには律儀に答え、 OFFには出かけていく。 人に会うのが怖いといいながら何時の間にやら女と出会い おっぱいをもんだりセックスをしたりする。メンタルヘルスで無気力だといいながら ナンパに出かける。ダルイ、やりたい事がないといいながら 女ができたとたんネットの世界からフェードアウトしていく。

意地の悪い見方をすれば、ダメダメアピールで女釣りをしているといえるし、 実際に女させ出来てしまえばネットで書いてきたことやつながりは放り投げて女に走るのである。
前例はいくらでも見つけられるだろう。彼らは不満や自分の情けなさを たくさん書き綴るが、結局のところ、不満はただ一点、 要望もただ一点「女」である。

リアル社会でもとうぜんこういう人はいる。 OFFであったメンヘラで中学から引きこもり医者にも重度のメンヘラだといわれた人間がいる。 この男はネットの知り合いとナンパに精を出し、女を作り、 女の家に泊まりに行き女にパンツを洗わせ「暇すぎるバイトも嫌、 でも忙しいバイトも嫌だ」と言う。
私には彼がいったいどういう病気なのか全く理解できない。 むしろ悩みひとつないように見える。 まったく共感するところなくOFFは解散と相成った。

またある自助会というメンヘラが集う会に参加している人の話。 「今までバイトしたことがない。怖いがなんとしていきたい」と言っていた。 そしたらどうした、バイトを始めて3ヶ月、彼女が出来ました、フェードアウトしました。

なぜフェードアウトしたりHPの更新をやめてしまうのか。それは必要なくなったから。 「女」という不満が解消され希望が叶い、もはや釣り針はいらないのである。

リア充を目指さない底辺達

バイトを始めようが就職しようが女に走らない人間もいる。 私たち喪男である。
カネが出来ても時間が出来ても女には使わない。 ひたすら自分の趣味や娯楽に使う。或いは貯める。 そもそも女との接点がないだろう、という論議はあるが、 たとえばOFFで飲み会をしているとき、飲み仲間の誰かが隣のテエブルで飲んでいる女に話しかけたりすると、 私たちは引いてしまうのである。

私は、たとえばすごく都合の良い女( ロリ美少女かつ私を溺愛し金も手間もかからない女)が現れれば 喜んで付き合うだろう。ただし我々と鯛男は大いに違う。 我々は女獲得のために積極的に動かないし必死にもならない。 もてるための趣味や知識やお金に費やすことなどない。

自己愛主義者ということになるのだろうか、 ともかく自分の生活優先なのである。生活の優先度において女の位置がNO.1ではないということだ。 鯛男諸氏には信じられないがこういう人間も実在する。
もちろん君たちの「モテないから女を諦めたとか言っているんだろう」という 意見も認めよう。モテないがゆえに女を諦めた一面もある。 しかし底辺鯛男はブ男だろうと低収入だろうと無収入だろうと女に貪欲である。 モテようとモテなかろうと鯛男になるのである。
やはり何かしら鯛男と我々喪男には差異があるのだ。

希望と絶望

ダメ系サイトや底辺生活を送っている人間を見て、 自ずから客観的に自分を屑だと理解している人間と、実はそうではない人間がいる。 これはリア充になるか喪になるかにはあまりかかわらないと思われる。 私などはもしかすると前者に当たるかもしれない。心密かに「俺はそれなりにやれる人間だ」 と思っていたから、資格取得から正社員までなれたのかもしれない。

しかし客観的に見れは屑扱いだということは理解している。
不細工でキモメンでチビでハゲ、おまけに低収入。 そんなみすぼらしい男が女の尻を追いかけている画を想像すると、 なんとも哀れでみっともなく思える。もし私のドッペルゲンガーが 酒の席でキモイ顔を赤らめて隣の席の女にちょっかいを出していたら 、間違いなく殺意を覚える。

しかし鯛男は 醜かろうがなんだろうがお構いなしで女を追う。
彼らは私と違い、客観的にイケている、少なくともそれなりだと思っているに違いない。 脈アリだと思うからこそアタックするのである。 狙撃可能距離にあると見て引き金を絞るのだ。 もし可能性が無いと 思いながらナンパしているのなら、女を渇望しすぎて頭がおかしくなったかドM男であろう。

私たちは女を得られることをほぼあきらめている。 客観的に見て可能性なしとし、自らその可能性を諦めている。 いわば恋愛に関して絶望している。
鯛男はチャンスありと見ている。恋愛に希望を持っている。 希望が原動力となり彼らを女へと向かわせる。

しかし女だけではないのだ、希望の有無は。 鯛男はたとえば私と同じくらいの収入でも「正社員だから勝ち組」だとか 「フリーターよりマシ」と自信満々な人が多い。他方私は自分の人生に絶望している。 「公務員様に比べたらウンコ」「生涯年収じゃ団塊世代にかなわない」と言っている。 次はこの感覚の違いを追ってみようと思う。

ちなみに私の場合、収入やらなにやらを補填したところで、チビハゲという 圧倒的負債があるという特例であるかもしれない。

普通の幸せ

同じ底辺でありながら 女を求める者と放棄する者がいる。 ネット上にも実生活上にもいるが、 私が見えるのはネット上でHPを開いているものかOFF等であったものだけである。 なお実生活上(仕事やバイト、訓練校)であった人たちの中に該当者も いたとは思うが、まさか底辺談義をけしかけるわけにも行かない。 私の友人でイケメンの警備員がいるが、 彼のような人は別枠にしておく。イケメンだからとか女がいるからとかじゃなく、 彼自身、自分の人生を底辺だとか嘆いていないからだ。

前置きが長くなったが、ともかくHP及びOFFであった人に見る リア充を目指すものと目指さぬ・目指せぬ者との違いを見てみよう。
人生の敗者になる経緯はそれぞれある。 学生時代から底辺を続けてきた者、普通に大学を出て 不景気の折底辺になった者、ブラック企業勤めで底辺になった者。 その中で、学生時代イジメを受けたものは ほぼ喪男になっている。(ただしメンヘラは除く) 普通の学生生活を送っていて底辺職に陥ったものは普通の鯛男になる。 ブラック企業でくたばった者は、顔に比例する。

まず全体的に見て、顔に比例していると思える。 女性関係は、ルックスの良さが優位に働くことは古来から 立証されてきた。可能性の高さからやる気がでるという 当たり前の事だろう。またイケメンであるほど女との接触が増えるため、 可能性を自覚しやすい。女に限らず ありとあらゆる人間に顔面補正が功を成すとすれば、 あらゆる人間から良く扱われ、社会的にも優位に立ちやすい。 イケメンが人間そのものに愛情・好感を抱く事は至極当然で、 それが自分の人生への希望へとつながる。 彼らは普通の生活、普通の幸せは十分手に入る可能性のあるものと見ており、 普通の幸せという奴を半ば知っているのであろう。

過去に暗い体験のあるものとそうでないものの違い。
普通に生活してきて普通に底辺職になった人が、普通の幸せを望むのは 当然である。底辺というだけであとは普通の人生なのだから、 今普通の幸せが手には入れば一発逆転、不満はなくなるのである。
暗黒の青春時代を送った人間は、普通の幸せ…良い給料もらって幸せの家庭をつくるといったような …を求めない、というか避ける。たとえ手に入れられる可能性があっても避ける。 高収入喪男などが良い例だろう。 なぜか? 

第一に、すでに自分の人生は失敗しているということ。
これから一般の幸せを手にいれたとしても、過去は取り戻せない。 人生の一番楽しく美しい時間であるという青春、 それが無いだけではなく汚点になり今も腐臭を放っている。 だったらなおさら今から幸せになろうと思わないのかという論議もあろうが、 思わないのである。少なくとも私は思わない。 ここで話しているのはあくまでリア充…一般的な幸せについてである。 今更しあわせ家族計画を成し遂げてもあまりに虚しい。 リア充どもがしてきた青春はもう手に入らず、そのことを根に持ちながら家族計画を 運営し続けて行く…この世の地獄である。 彼らと幸せ競争をしたって何時まで経っても負けなのである。 青春の残りカスにすがる人生は 想像するだけで苦しい。 リア充どもにとっては残りカスではないのかもしれないが、 青春ロストした物にとってはそういう感覚なのだ。 私たちは人生の過去や未来に、希望を抱けないのだ。

第二に、普通の人たちと築く幸せを信じていないこと。
普通の人とはつまり、学生時代とくに 虐められなかった人たちのこと。 リア充、イジメっ子、凶暴な運動部員を含む。 人の人生をすり潰すのを楽しみ、それを屁とも思わずあっさり忘れ、 普通の幸せを求める、彼らの感覚など私がわかろうはずも無い。 したがって彼らと私の幸せ像は大きく違ったものになる。 また、虐められなかった人…というか他人に人生を潰された経験のない人は、 イジメっ子にそれほど悪い印象を持っていない。 少なくとも憎んだり恨んだりしていない。 そして人として当然の愛やら幸せやらを求める。 彼らと私のようなものとの違いは、人間不信に陥っているかどうかである。 普通の人間を信じているかどうか。普通の人間の幸せを信じているかどうか。 普通の人間との付き合いを楽しめるかどうか。 元イジメっ子が出世する会社、元イジメっ子を慕う友人、 元いじめっ子を愛する女。そんな普通の人間、普通の社会が 得体の知れない怖いものなのです。 私たちにとっては、普通の幸せも得体のしれぬ幸せであり、理解したくもないのである。 ましてや得体のしれぬ者と共に築く幸せなぞ信じられようはずもない。 私が願うのは個の幸せであり、理解できるのは同類のみである。 私たちは普通の人たちに希望が抱けないのだ。

第三に、人間社会そのものを信じていないこと。
学生時代イジメられていても、女に走りリア充を目指すものもいる。 彼らの場合、大概親の理解があり、不登校やメンヘラ生活を許された身である。 私のように「とにかく学校へ行け! 部活もやめるな! 通信教育なぞとんでもない」 といわれ、自分からのSOSを全く無視され、 実質上「何が何でも親に恥をかかすな」と言われたも同然の人間とは、 親への思いやスタンスが違う。 メンヘラにとって親は「自分を支えてくれるもの」であり、味方なのである。 親を信頼し、両親という普通の家庭… 働いて結婚して家族で暮らすという生活モデルの幸せを信じられるのである。 いじめられっ子に多いといわれる 「夫婦仲の悪い家庭」だが、 子供の頃から長期間、そんなものを魅せられては家庭に良い印象を抱かないのは 当然であり、いじめられっ子の求める幸せ像からは「普通の家庭」は外される。 親には理解された登校拒否児、親にも理解されなかった青春敗北者。 私たちは人間社会に、人間そのものに希望が抱けないのだ。

結論・感想

リア充を目指すかどうかは、 普通の幸せを信じているかどうか、普通の人間を信じているかどうかである。 すなわち、人間に対して希望を持っているかどうか。
それは若い頃の経験に強く影響される。

普通の幸せを信じるものはその道を、 信じられぬなら別の道を行けば良い。
ありとあらゆるものに負け続け、なおこれからも 敗戦濃厚、見た目や経歴でデメリットを負っている 事を理解しているのであれば、人生投げ捨てて我が道を行くしか ないのではあるまいか。
無論、あくまで一般の幸せにこだわるというのなら、それも一興。
不合理、不運、不平等、 それらはとどのつまり全て自業自得として、 間違いなく全て自分にのしかかってくる。 だから各々好き勝手にすれば良いと思うのです。

最後に

私は彼ら…リア充を目指す者たちの行動や思想に文句はない。 ただ「俺のほうが大変だ」とか、小生の話を聞いてわかる振りをするのが激しく不快であり、 また世間一般も2chもそうでないネットも大多数が彼らの言い分に同調する

10/04/07

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