私は今でも、虐めた奴を恨んでいる。
殺したいとさえ想っている。
子供の頃の一年間は、無限に長い。
子供の頃の経験は、長く影を伸ばす。
人生が捻じ曲がった。
そう想えた。
今でも忘れない。
蹴りをくれた奴。 ドケザさせた奴。
それをみて「なさけねぇ〜」といった奴。 写真をとった奴。
いちいち見に来て、私を円で囲んで笑った奴。
とにかくたくさんだ。
誰もが虐められたからこうなるわけではない。 ということは知っている。
こういう人がいる。
「私は良く虐められたけど、今ではネタにして楽しく生きています」
「虐められたのをばねにして、絶対見返してやるんだって、 頑張ってきました。今ではいい経験ですよ」
だからどうしたのだ?
虐められッコの生きる道を示したつもりか?
ただ苦境から這い上がった己を、誉めて自慢しているだけじゃないか。
なにか?
虐めを引きずるのが悪いのか?
それとも流行の「虐められるほうにも原因がある」か?
まるで私が、虐められなかった先に在る人生を渇望してはいけないようだな。
誰でも同じだとは想うなよ。
いまさらそんな事考えても何にもならないだろ。 そんな事解ってる。
虐められなくてもおまえみたいな奴はダメだ。 そうかも知れん。解ってるんだよそんな事。
でも世の中は、私みたいなやつを悪く見る。自分のせいだという。
いつまでも引きずってみっともない。
馬鹿じゃないのかアイツ。かっこ悪いったらありゃしない。
そして、虐められっこのヒーロー気取りが称えられる。
どういう訳か、そうなる。
いや、訳はわかっているんだ。
云ってやろうか。
自分が虐めた奴が、笑ったり蹴ったりしたやつが、 今じゃそれなりに楽しんで生きてて欲しいからだよ。
これをみて、じゃあ虐めた奴も、真っ当な人間なんだなと想った奴がいたら、 アンダは一生涯、私の言っていることが理解できない。
虐めた人間は、虐められた奴に
(昔は虐められたけど、そんな事どうでもいいくらい今は楽しく生きてるナァ)
と想ってて欲しいんだよ。
それどころか
(虐められて辛い思いをしたおかげで、俺は此処までなれた。 逆に感謝してるよ)
と想われたいんだよ。
自分が善良である為に。
自分が心置きなく幸せになるために。
逆に虐められた人間が
(今でもおまえを恨んでいる。おまえのおかげで人生狂った。殺してやりたい)
と想っているのを知ったら、さぞかし不快だろう。
だから誉めるんだ。
「私は虐めから立ち直った。そして、今では一人前にやってます。 人間つよくならなくちゃダメダ」
そうだ、アンタこそ立派だ。アンタこそ正しい。 そうなれない奴は、ただのクズなんだよ。自分のせいなんだよ。
俺のしたことは、たいして関係ないんだよ。
今でも恨んでいます。あなたたちが法で守られていなければ、今すぐ殺したい。
守られていても、殺したいと想う。
虐めに加わった人で、此処まで読む人はほとんどいないだろう。
けど、万が一、これをみて笑っている人間がいたら、いっておきます。
虐められた多くの人は、まだ覚えています。恨んでいます。
あなたに虐められた人も、きっと覚えています。
いまだに布団の中に入ると、時折あなたの顔が浮かんでくるのです。
あなたの顔に向かって、死ね、と唱える。
意味が在ろうがなかろうが、死ね。おまえは死ね、と念じる。
法が許そうがが天が許そうが世が許そうが、わたしは許さない。死ね。