光高校爆発事件

ねとらじで光高校爆発事件 に付いてどう思うか聞かれたので、ここに書き記しておく。
事件の概要は・・・・・・

授業中に爆竹、約40人負傷 3年男子生徒逮捕
 10日午前10時ごろ、山口県光市の県立光高校で、授業中の3年生の教室に爆竹が投げ込まれ、生徒ら男女約40人が負傷、同市内の病院に運ばれた。1人が重傷だが、意識はあるという。  通報を受けて光署員が駆けつけ、傷害の現行犯でこのクラスの男子生徒(18)を逮捕した。

大まかにまとめると、学校でいじめを受けていた少年が、爆発物を自分のクラスに投げ込んだ というもの。
インターネットで調べて爆弾をつくり、クラスに投げ込んで50人ほどのけが人を出した。
爆弾の威力に驚いて逃走したが、 犯人の少年はすぐに逮捕された。。
学校側は「いじめなどはなかった」と発言。学業優秀で、遅刻はこれまで一度もなかった。
少年ははじめ口を噤んでいたが
「クラスに恨みがあった」
「特定の生徒をねらった」
などと話している。

この少年が実際にどの程度のいじめを受けていたか、苦痛を感じていたかは分からない。
同じいじめられ方をしても、人によって感じ方が違う。
小生がこの少年の立場だったら、果物ナイフをもっていじめの中心人物を打つだろう。
(実際小生がいじめられていたときは、金を請求されたら刺す! と 心に決めていた)
ただ、先ほども言ったとおり、どのようないじめを受け、どう感じていたのかは小生には分からない。
もしかしたら、クラス一丸となっていじめていたのかも知れないし、 一緒にいじめないと無視されるからやっていた奴もいるのかも知れない。
虐められるのを笑ってみている奴ばかりだったか、はたまた苦い思いを持ちながら 放観していた人がいるやも知れない。
少年にも、見えていたと思う。
虐めを楽しんでいるやつらだけじゃないと言うことを理解していた。
にもかかわらず、無差別にダメージを負わせる爆弾をつかったのは・・・・・・

皆さんはどう思うだろうか。
こんなのつかまるに決まってるのに、馬鹿だナァ。
何で先生に言ったりしないんだろうね。
虐められたことのない人間は、こんな風に思うのが普通らしい。 (小生のラジオにも、こういう書き込みをよくいただく)
では云おうか。
少年は捕まりたかったんだ、と思う。
なぜか?
現在の虐められる生活―――学校生活から、確実に離脱する為に。
事件になって、逮捕されて学校生活から逃げるために。
先生に訴える? 報復が怖い
親に言う? 報復が怖い
警察? 仮にいじめっ子が少年院にはいったとしても、いずれ出てくる。 報復が怖い。
とにかく、少しでも報復の可能性があるものは怖いんだ。
だから、虐めを完全に断ち切るために、事件を起こした。
少年の頭の中にも、果物ナイフはあっただろう。
自分はいじめっ子に向かっていけるだろうか?
切りかかっても取り押さえられるかも知れない。
そして、また学校生活を続けされられる。報復されるかもしれない。
そういう思いが、クラス全員が敵でないと分かりつつも爆弾という 手段を選ばせた。

結果、少年は望みどおり逮捕され、やっと苦痛の日々から抜け出せた。
少年がどうだとか、だれが良い悪いとか言うつもりはないし、思わない。
ただ思うことは
虐めは放観され、たまらず事件を起こせば国家社会によって罰を 与えられると言う事実。
学校に責任を追及する親やマスコミ。 虐めた奴は追及しないらしい。 そして、学校に文句をいう親のなかに、いじめっ子の親がいると思うと・・・
少年を責める人々の気持ちがわからない。
じゃあ、少年が虐められ続ければよかったというのか?
それとも、大勢に迷惑かけるくらいなら自殺しろとでも??
まさか、虐めを振り払う勇気がないのが悪い。なんて云うまいな?


山口県立光高の爆発物投げ込み事件で、事件が起きた3年1組や、逮捕された男子生徒(18)が所属するクラスの複数の生徒らが、同校教諭や臨床心理士に「男子生徒をからかったり、いじめたりした」などと証言していることが学校関係者の話でわかった。弘中幸雄校長も13日の会見で、「広い意味で(男子生徒に対する)いじめはあったかもしれない」と認める発言をした。
生徒の一人は「無口なのをからかって男子生徒の机を揺らした」「うざい、などとひどい言葉をかけてしまった」などと話した。生徒のほとんどは「男子生徒があんなことをしたのは自分のせいかもしれない」と自分を責めており、泣きながら話す生徒もいたという。
複数の教職員から、「授業中、男子生徒が質問に答えられないでいると、クラスメートから苦笑が起きた」という報告があった。
 弘中校長は生徒の口数が極めて少なくおとなしい性格だったことから、友人らの軽口にも相当の苦痛を感じた可能性もあるとの認識を示し、「本人のプライドを傷つけるようなことや、嫌だと思うようなことがあったかもしれず、広い意味でのいじめに相当するものはあったかもしれない」と語った。
事件にならなければ、いじめっ子も教師も社会的批判を受けることなく、 当然反省することなどなかっただろう。
多くの人に迷惑をかけ、それでも少年は自力で虐めを断ち切った。
彼は罪人である。

まさか、勇気がないのが悪い。なんて云うまいな?



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