部屋のコンセントをすべて抜け止め型に換えた。
これでたこ足配線になっても、椅子に絡まっても、
いきなりコンセントが抜けてPCが落ちるというようなこともなくなくだろう。
もともとコンセントがガタガタだったし、最近の職人は昔より腕が悪くなったといわれる。
個人的には昔の人が優れていたわけでもまじめだったわけでもなく、
労働環境の悪化によってモラルも失われ、投げやりな仕事をせざるを得なくなった
だけだと思うがね。
ちなみにブレーカーを落としてからやらないと感電する危険があるのでやらないように。
というか無資格だとやってはいけない。資格があっても他人の家のは
電気事業者登録してないとやってはいけない。
19日のつづき
僕のような人間がうまく生きれないのは、先のことを考えてしまったり
もしもの事を考えたり、そいうい臆病で慎重で不安げなところがネックになって
いるのではないだろうか。
とは言え、このような性格になってしまったのも、子供の頃の環境、経験、容姿の影響。
人間は、卵子と精子がであった瞬間から自我や意識があるものではない。
まさに0からのスタート。直後の経験に100%依存する。
人間は未熟な状態で生まれてくるが、より成体に近い状態で出てくる
雛でさえ
はじめてみたものを親だと認識することをりようした
「すりこみ」という技が存在する。すりこみはこの後の教育では
まず直らない。幼い頃に受けた影響というのは、大人になってから受けた影響の
数百倍つよいということだ。さらにこの影響により行動や性格や表情が
作られ、次の経験に連鎖していく。
石を空に向かって投げたのと地面に叩きつけたのでは、
その後いくら軌道修正しようともお互いの位置は離れるばかりである。
人間が影響を受け始めるもっともはじめの時期というのは、
母体内にいる時期を除けば生まれでてすぐのことである。
ここで恐るべき統計がある。
生まれでてから3日間の母親が赤子にボディータッチする回数は
赤子のかわいらしさに左右されるというものである。
3日をすぎれば、ブサイク赤ちゃんでも「我が子」という認識が強くなって
ボディータッチの差はほとんどなくなったそうだ。でも3日後じゃもうおそい。
生まれてすぐ、無償の愛を与えられた子与えられなかった子。
どんな親の元に生まれるか、どんな顔に生まれるか・・・・・・・・・
この世で運に勝るものはない。まさに圧倒的。
家にMP3プレイヤをわすれて出勤した。
何の楽しみもない満員電車、満員バス、あらためて
通勤の地獄っぷりを思い知らされた。
逆に言えばデジタルプレイヤが
通勤のストレス解消に大きな効果を与えているということだ。
満員電車で音楽を聴いても楽しめるものではない。
不快な環境で微妙なニュアンスを感じ取り、音楽に
深く入っていくことは不可能だ。(主張が強いポップスや萌え系ヲタ系
は別かもしれない)
その点、言葉というのは音楽と比べればだいぶはっきりしている。
いろいろな人の意見を聞き、満員電車でもみくちゃにされながら
思想が巡る。苦痛の満員電車が、会社に着くまでの思想タイムになる。
はっきり言ってワシの録音は面白い。
気に入ったスレやHPを読み上げさせているだけだが、
ずっと好きな・・・とうか考えさせられるラジヲ番組を聴いている状態だ。
スレだと一人一人の主張が短いので理解しやすいし、そのたびに
ワシの意見が湧き出てくる。逆にラジオとちがって自分好みの意見がかたよってしまうのが
問題かもしれない。
「文章を聞く」という方法は、いつでも、どこでも、疲れないで、満たされる、
すばらしい手段だと思う。
疲れているとたとえ一週間オナニーしていなくても、
そのまま眠ってしまうものだ。
昨日も早々とノックアウト。10時ごろに寝た。
そして午前三時に目が覚めた。特になにか音がしたわけでもなく、
普通に目が覚めた。ジジイそのものだ。
あんなにクタクタで眠ったのに早々と目が覚めてしまう。
それで疲れが取れているならまったく問題ないどころか
タフな体に感謝したくなるぐらいだが、疲れが取れていないから困る。
でも再び眠ることはできそうにない。この体はどうなっているんだか。
不眠症ということはないと思うのだがね。
安住の地もなければ安眠も得られない。
人間らしからぬ生活をしているのだから当然か。
もう聞き飽きたというか見飽きたと思うけど、
残業は疲れる。
このまえの30時間ぶっ通しよりはぜんぜん楽なはずなんだけど、
今回は体に堪えた。
やっぱり二日間にまたがる残業は別格。
世の中「金さえ払えばなんでもいい」ってことになってるんだろう。
むしろ「残業代をちゃんと払うだけありがたいと思え」ってところか。
労働者側にもそう思っている人がいるからおそろしい。
十分な睡眠が与えられないっていうのは、生き物として結構致命的だと思う。
障害者や生活保護が国から補償させている「人間らしく生きる権利」
なんかはるかに及ばないレヴェルだ。
いくらメシがきっちり出てこようが散歩に連れて行ってもらえようが、
眠らせてもらえないのではペットも死んでしまう。
ビルゲイツみたいな変人でないかぎり、睡眠は命にかかわる。
障害者相手のセックスボランティアなんていう「快楽の欲求」
と対極にある「生きるための欲求」だ。
「労働者が生き物らしく生られる権利」を望む。
ウイルス対策ソフト カスペルスキーを更新した。
かなり時間がかかった。アクティベートするのに、なぜか前回の
シリアルナンバーを求められ、探すのに3時間ぐらい手間取った。
なんでまた新たに購入するのに前回のシリアルがいるのか。
また、同時にバージョンアップさせられた。自動でバージョンアップするなら
別にいいんだけど、自分でアンインスコしてから再インストールしなければならない。
手間がかかるのはかまわないが、この手のソフトを下手にいじると、
OSがおかしくなりそうで怖い。
パソコンに詳しくない人も使うソフトなのだから、もっとわかりやすく済ませてほしい。
花粉症の調子がだいぶ悪い。薬があまり効かなくなってきた。
ところで花粉のピークはいつ終るんだ?
レント氏とカラオケ。今年に入ってからは言っていないので、たぶん
半年振りになるのだろうか。
ささきいさをとアルフィーの銀河鉄道999のPVがちょっと変化していた。
何の意味があるのだろうか。凄く不思議だ。
アルフィーのは前のほうがよかった。
最近5時過ぎに勝手に起きてしまう。
遅く寝てもおきてしまう。
ということは、十分睡眠をとるためには早く寝なければならない。
子供の頃みたいな朝型人間にもどったというのは喜ばしいことだが、
残念ながら今のワシは子供の頃とは違い毎日が苦痛である。
子供の頃の朝は気力に満ち満ちていたが、
今は会社に行く時間が刻々と近づく苦痛の時でしかない。
夜早く寝て朝早く起きるということは楽しい時間が減り苦痛の時間が増えることを意味する。
結局、楽しく人生を送るには、日々の生活=起きている時間の大部分を占める仕事
が楽しくならなければどうしようもないのかもしれない。
もしくは仕事の時間を短くする。これを実現してるのが楽天的ニート、フリーター。
まさに連中は勝ち組である。現代社会に見事にマッチしている。つづく
ハードな一日だった。
昔から思っていたことだが、どうもワシは不運のようだ。
不運な人間がこういう仕事をすると、
ワシの出勤のときばかりトラブルが集中したりする。
ワシの背後には不幸の星がビンビンに輝いている。
トラブルを呼ぶ男といえばかっこいいか? 悪く言えば余分な仕事を呼ぶ男だ。
たぶん俺が少しでも楽をしたい、働きたくないという人間だから、仕事が俺をめがけて降り注ぐのだろう。
とにかく寝る。
S&Gブームが来た。
サイモン&ガーファンクルを聞いていたのは、かれこれ二十歳ぐらい
だったか。歌詞の意味もわからずに何度も聞いた。
とくに理由もなくまた聞きたくなり、CDを借りてずっぽり嵌った。
曲が、歌詞が、非常にネガティブかつ反社会的ですばらしいです。
中学生の頃からの親友というのもよい。
デビューしたが売れなくてポールが旅に出たあとで、カバーしたバンドが売れたり、
後年音楽性の違いというやつで解散してからも2人の中は変わらず一緒に旅行したりと、
そういったエピソードもいい感じです。
「早く家に帰りたい」 タイトルの曲がたくさんあります。
リチャードコリーになりたいな。お金持ちのリチャードコリーになりたいな。みたいな
歌詞もたくさんあります。
サービス残業は疲れるのう。
噂によると毎日サビ残が当たり前という人も多くいるようだが
ワシだったら耐えられないだろうなぁ。
いままで体を壊さずに耐えてこれた人は、生まれ持った体の丈夫さ、
この一点だけは仕方なく親に感謝してもいいのかもしれない。
しかし、企業はあたりまえのようにサービス残業させておいて、
底辺労働で気が狂った個人は即逮捕。
負け組みは反撃も許されない。
「勝てば官軍」というのは昔から変わらないが、近年は
勝ち組になったらなにをやってもよい「勝ち組は官軍」というのも追加されたようだ。
世の中すこしぐらいサービス残業があるのは当たり前、みたいな風潮になってないか。
風潮というのは、大多数の人がそれを普通であると認めている状態である。
サービス残業という犯罪被害を受けている多くの労働者自体が認めてしまっている
のだから恐ろしいことである。
ヒトラーの言うとおり、支配される側も苦痛を感じなくなってきているのかもしれない。
自称勝ち組なんてその最もたる例だろう。
苦痛を感じているワシのような人間が社会についていけず滅亡したときに、
ヒトラーの言う「全てが二極化した世界」が訪れるのかもしれない。
やっと花粉症の薬をもらってきた。
病院混みすぎ。
町医者なのに一時間以上待った。座るところもないありさま。
子連れというか幼女満載で混むのならいいのだが、ジジババばかり。
混むだけじゃなくてジジババは何かと遅い。
レントゲン室にいけといわれているのに、病院仲間を見つけて
井戸端会議ならぬ病院会議を始めやがる。診断だけならまだしも、
受付や支払いや指示する看護婦といちいち会話をしようとする。
書いて来いという書類を書いてきていない。もってこいといわれた
書類を持ってきてない。それでいて「家が遠くて」とか訳のわからない話を始める。
ワシはジジババが遅いから文句があるんじゃない。歩くのが遅くても
うまく喋れなくてもそれはしょうがないことだ。年寄りならそれだけ経験をつんでいるんだろうから
それこそ空気読め、回りの事を考えろ、と思ってしまう。
で、やっとワシの診断。去年の血液検査のシートをもっていったから
1分もかからない。「いやーこれは大変だ。じゃお薬出しておきますから」で終わり。
ちなみにワシの受診料(薬代除く)1200円。ジジババはマッサージやら
注射してもらって110円とか210円とかバス料金かよって値段。
(ちなみに我が糞××市ではジジババは定額でバス乗り放題)
右肩上がりの時代を生きてきた上に年金もがっちりもらえる
ジジババをなんでもかんでも優先するのは勘弁してほしいね。
連中が富を使い切り自然破壊しまくった時代に生まれたワシらには
重税のうえ年金はありませんよってか。やってられんね。
もらった薬
常用としてアレグラ錠 酷い時用にセレスタミン
アレグラ錠は鼻水はでるがクシャミは止まる
セレスタミンは花粉症がぴったり治まる。恐ろしいほど効いている。
それだけ体に悪いということなんだろうか。
しかし、ストレスをためるぐらいなら強い薬を飲んで死んだほうが良い。
人生を振り返ってみてそう決めた。
なんか最近、さらに目が悪くなったような気がする。
机と椅子が合わないせいだろうか、少し越も疲れる。しばらくすれば慣れるのだろうか。
マウスの効きの悪さにイライラさせられる。逆に言えば、それだけパソコンに依存しているということ。
これでパソコンが嫌いになれば幸いなのだが、
残念ながら今現在、ニコニコ動画の笑うせぇるすまんが面白すぎてどうしようもない。
机が合わないといっても、ただ画面を見たり、座って音楽を聴くだけならかなり具合が良い。
椅子を高めにして松田勇作ばりに脚を机に投げ出して、
窓の外を見ながら音楽を聴くとちょうど良い。
兎に角、暖かくなってきたし花粉症の薬も効いているようだから深夜徘徊なり
散歩なり、外に出るべきだろう。
空気清浄機を導入した。
もちろん中古品。2chで評判がよいものの型落ち品だ。
設置してスイッチを入れた瞬間からホコリセンサーが反応しまくり、数分たつと収まる。
メシを持ってくると匂いセンサー、ドアを開けると花粉センサー(出入りのために
数秒あけただけで反応する)、布団を敷くとホコリセンサー、かなりの感度を持っているようだ。
何せ目に見えないものだから、どれくらい効果があるかはわからないが、
24時間365日使うものに1万円は悪くないだろう。
テニスをした。公式テニスは恐ろしく難しい。
早速指にタコができた。おかげで箸を持つのも痛い。
スポーツはいいものだ。熟睡の種になる。
スポーツが趣味の人は、趣味をしているというストレス発散すなわち
精神面のプラスと、日光の下で運動する身体的なプラスを楽しみながら得られる。
机が出来上がった。大きさ、強度、足の長さ調節といい文句のない出来である。
がしかし、いまいちマウスの利きが悪い。木材の問題だろう。
これはストレスに直結する。検討が不十分であった。
急いで得することはめったにない。ましてや趣味なのだから急ぐ必要もない。
ワシは自分のクソ人生から十分に学ぶ必要がある。猛省を要する。
今一度、人間がバカなこと、小生がバカであることを記する。
170 :('A`):2008/02/10(日) 03:28:08 0 >161 聾唖者専門の介護老人施設で働く聾唖者の介護職の女性を追う番組やってたんだけど 見ててガチで辛かった ケアする側も音の無い世界で生きてるから要介護者のほんの少しの変化も見逃すまいと 常にタカの眼のような鋭い眼光で周囲を見渡し、本の些細なことでもすぐにそばに駆け寄り ボディータッチと手話でコミュニケーションをとる 介護されるおばあちゃんも衰えからか手話で意思表現することすら体力的にきつそうだった 聞こえない、喋れない、手話もしんどい、自力じゃ起きれない それを介護する側もされる側も頑張って必死で生きてるから美しいよね、感動だよね、 なんて俺にはどうしても思えなかった
日本\(^o^)/オワレ
少し薬が効いてきたような気がする。
花粉症の薬というのは聞くまでに時間がかかるようだ。
基本的に花粉症の季節の一週間前ぐらいから飲まないとダメらしい。
また鼻水が炎症になって鼻水がでてくると、なかなか治らないらしい。
鼻の奥がいたいのは、鼻が炎症を起こしているからなんだな。
というわけで、花粉症には早めの対処がセオリー。薬で押さえるのが手っ取り早い。
お茶や青汁が効くという報告もあるが、薬が一番堅いのか。
青汁は前から飲んでみたかったので、半年ぐらい続けてみようかな。
親の薬をかっぱらって飲んでいるがあんまり効かない。
花粉症はストレスそのもの。
鼻の奥がむずむずして痛い。頭も痛い。歯茎も痛い。肩がこる。
皮膚が痒い。体が火照る。
鼻水で眠れない。そして目も痛くなる。
病院にいく。早く病院に行くから、休みが まだ
くすり うま かゆ。
机の天板を加工した。
斜め机を作る場合は、天板が滑り落ちないようにどうしても何かで固定する必要がある。
方法としては
@足を直接ビスなどで止めてしまう
A天板に穴を開け、ボルトで固定する
というのが考えられるが、@だとバラせなくなるし、Aでは机の上に凹凸
ができるという弱点がある。
ワシも当初はAの方法を考えていたが、少し冒険して板にナットの受け口を打ち込む方法を
使った。加工が難しかったが板割れを起こさずに済んだ。しかしナットが脚とぴったり合うかどうかは
まだわからない。なぜならニスの乾燥中だから。
つもの塗り斑塗装。初めて刷毛をつかったので、スピーカーのときより
さらに塗り斑が凄いことになった。こちらは予定通り。
鼻の奥がむずむずする。早く病院いかないと。
:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 19:00:39
ID:LOk48ppg0
>親の責任は当然あります。だが、大人になった今、それを克服する能力を身に付けているはずです。
いや、ダメな親に育てられ、マイナス要因ばかりを植えつけられて育ってきたのに
「それを克服する能力」なんてものが身に付いてるはずがないだろう?
例えば18年間、親に洗脳されて黒を白と言うように育てられた18歳に対して
「もう18年も生きてきた大人なんだから自分で克服する能力があるはずだ」
なんていうのは全くのお門違い。
逆なんだよ。18年も腐った親の子として育った奴は、これから18年間正しい教育をしなおして
やっとゼロの状態に戻れるの
親以外に親身になって自分を育ててくれて、なおかつ親が子にしてきたことは間違ってるとハッキリ
指摘してくれる人が現れない限り、「それを克服する能力」なんてものは絶対に身に付かない
そんな人めったに現れないし、もし自力で親の呪縛を克服したとしても
世間からは「親を大切にしろ」「生んでもらった恩を忘れて最低な奴」
とか、実情を知らないくせに「親は全面的に正しい」的なキチガイじみたことを説教してくる
奴らにフルボッコにされるだけ
子供の頃から親に苦しめられて、それを克服しようと自分で考え自分で生きて言って親の間違いに気がついたら
今度は親不孝者呼ばわりされて非難される。
バカ親のせいで子は子供時代だけではなく大人になっても二重三重にも苦しめられ続けるんだよ。
('A`)全てはもう遅いんだよ。
ああそうか、お前らはなぜか赤子のときから
社会構造や小さい頃のほうがいろいろ身に付くことを知っていて
勝てば官軍ストレスは弱い奴にぶつけて禿げる前から育毛剤を使って
利口に生きてきたんだよな。そりゃ俺ごときじゃ勝てないな。
51 :('A`):2008/02/10(日) 09:00:23 0
後…3 ̄4年ぐらいってところかねぇ…
クリティカルだった世代が35歳ぐらいになるのは。
あっちゃもこっちゃもみぃんなご御破算!!
さぁて願いましては!!
楽しくなってきたぜwww
たしかにwww
ワシも変な現場飛ばされたり
この業種がきつくなってきたら永久のインド旅行と洒落込もうか
花粉症キター
花粉症ってストレスの病気だと思う。
統計とったらルックスが悪い/貧乏/地位の低い人ほど花粉症の割合が多いだろうね。
あてずっぽうで言っているわけじゃない。富裕層にくらべて貧困層は
寿命が短い統計がでている。疾患も多い。貧乏人は体の免疫が常にフル稼働
しているのが原因だそうな。
生きていく上で困難なことやストレスが多くて体が過敏になってしまうんだ。
害にならない花粉さえ敵とみなして排除しようとするんだね。あらゆることがストレスになる訳だ。
常時免疫フル稼働で何が悪いって、常に稼動していたらイザというときに戦えないし、
免疫を稼動させてることでエネルギーを喪失し続けるから気力体力のない人間になる。
あらゆることに対して体が過敏になっていて心身が早くぶこわれるということだね。
汚肌やアトピーニキビも同じように負け組みに多い病気と言えるんじゃないかな。
こういう病気?って
「この社会のくせぇ空気を吸ってるなら死んだほうがマシだ」
っていう体の声 と理解することも出来る。体の中から死にたがってやがるんだ。
体は正直とはよく言ったもんだ。
真の負け組はメンヘラを含む病人だ。
努力したくても、それすら叶わぬ人間。
そういう生きる死体のような人間こそ、自殺が切実な願いなわけだが。
努力したくてもできない人は負け組みではない、病人だ。
病人だから治療できて治る可能性が残されている。
真の負け組みは、努力しても負けてしまうどうしようもないクズのこと
恋愛で言えば、見た目も性格もブス、ブサイクなやつが該当する
仕事で言えば、頭が悪すぎて言われたことが出来ないバカが該当する
このような人種は生まれつきなのであって、努力してもほとんど意味がない
一生を生き地獄を味わう運命なのだ
種の多様性で一定の割合でこのようなやつらが生まれる
将来的にはこのような人々はせめて安楽死できるようにしてあげないとかわいそう
ワシは後者の主張をする人間だ。
2チョンのダメ人間とのたまっているやつらはほとんど前者。だから
カス2チョンネラーに荒らされたんだろう。もちろんネットの中でもワシは嫌われ者。
昔リンクをはっていたページのあらゆる掲示板で叩かれた。
このHPを見た人もほとんどは共感できないだろうし、それどころか
「オマエは努力できてる」とか「資格を持ってる」とかわけわからないことを言ってくる人もたくさんいた。
真の負け組みには仲間がいない。ある意味正しい。
なんというか、オナニーする気力もないというか、
ハードワークをすると生活サイクルを直すのに時間がかかる。
ワシの会社は他のヴィルメン会社より忙しいらしい。
噂だからなんとも言えんけど。
ほしい資格を撮り尽くしてある程度稼いだら、地元で探したいね。
地元というより近所か。近所のお嬢様学校のヴィルメンやりたい。郷土博物館でもいいや。
北海道に移住したいというのもあるけど、お金のことを考慮に入れると、
多少不便なところにあっても家は捨てられん。
独り暮らししてたら金なんて全然たまってないのは明白、実家がある人間は
フル活用すべし。ホリエモンの言うとおりにね。
俺が住んでる市の図書館の地下に軽食が食べられる喫茶店があるんだけど
そこのウェイトレスは全員が軽い知的障害を持っている
そういう人たちの受け皿としての市営のお店なんだろうな
ほとんどは外見からそれとわかる容貌なんだけど、一人だけ跳びぬけて可愛い子がいる
喋ると、「あぁ、やっぱりあの子も」ってわかるんだけど黙ってれば街中でも目を引くレベル
恐ろしいもんで同じ障害者の中でも外見ではっきりと階級が出来上がっちゃうのな
そこに来る客のウェイトレスに対する対応が露骨に違いすぎるから自然と序列ができちゃう
外見だけが可愛い子も客の要望に応じてキモイ声と笑顔で客に媚売ってる
やっぱこの世は100%外見なんだよ
('A`) じごく
やっと暖かくなってきた。
深夜徘徊や独りフットサル練習も再開しよう。
ということでジャージを買ってきた。
ついでにエンタ氏の車で机の脚も買ってきた。
斜めになる机を作ろうと思っていたが、希望に沿っていたものが手に入り満足である。
いろいろな人がいる、とつくづく思う。
現実を見聞きしてもそうだが、ネットでは『いろいろな人』の幅が極端にでかくなる。
ウソか本当かはわからない。けれども私よりはるかに苦渋を味わいながら
諦めず不平をもらさず生きている人もいれば、たいした不幸もなく
現状も悪くはないのに文句ばかり書いている人もいる。
もちろん痛みを知らない勝ち組(自称含む)もたくさんいる。
自分も含め、不幸だという人の人生を見ていて思ったことがある。
実際不幸かどうか、客観的に見て不幸かどうか、というのは関係なく、
自分が不幸であると自覚してしまい、またそれが解決する方法がないならば
死ぬしかないのではないか?
不幸の解決方法がない、あるいは非常に困難ならば、一生不幸に過ごすということは確定事実である。
不幸から逃げ出すにはリセットするしかない。死ぬしかないのである。
たとえば「暗い青春時代を送った」という悩みは、解決不可能である。
その後の栄光などでごまかすことはできるが、青春時代は一度しかこないのであるから
根本的解決である「明るい青春時代を送る」ことはどう頑張ってもできないのである。
小生の人生では「学生時代虐められた」ことはどうやっても元に戻らないのである。
一方キツくて割に合わない「労働が苦痛だ」という今現在の悩みは解決できる。
明日から会社に行かなければよいのだ。借金がなければバイトにすればよいし、
働くのもいやならインドに行けばよい。
人間は・・・というか負け組みは、幾多の不幸や苦痛を持ち抱えている。
小生が「ハゲ」という悩みしか抱えていなければ、「ハゲ」は
どうやら直らないと結論付けるまでいろいろ試したのだから、もう死ぬべきだろう。
しかし不幸は山ほど持ち抱えている。そのなかには改善できるものもあるだろう。
できるものだけでかまわないから苦痛を取り払い改善して、
それでも不幸ならば死ぬしかない。
死ぬのなら楽に死にたい、という気持ちはわからなくもないが、
「やれるだけやる」とういことが死ぬ過程で必要な気がする。
何の根拠もないが、日本でどれだけ生きられるか試して、
ギブアップしてインドを放浪するところまで至れば、満足に死ねる気がする。