いままでの経歴

誕生

0歳〜
 何でも、夜明けに生まれたが、 母親の胎内から出てきてもしばらく鳴かなかったらしい。 生まれたときから偏屈者だったという事だろう。
やがて心臓に穴があいていることが発見される(死期1)が、 小さい穴なので手術はせずに済む。 医者の話だと成長すれば自然にふさがるという事だったが、 現在もふさがっていない。
ばい菌がこの穴に入るとポックリ逝ってしまうらしく、 虫歯には気をつけろと再三いわれた。 今も年に一度、検査に来るように云われているが、 二十歳を過ぎてからとんと行っていない。
金もないし死んでも問題ないので、まったく行く理由が無い。

遊ばない幼稚園児

2才〜幼稚園卒業
 思えばこの頃から、親や自分と同世代の子供の行動が 不可解でならなかった。 父はバブルの恩恵なのか、大手に勤めていたがやめてしまった。 それ以来、毎日居間でテレビを見てえばっていた。
そういえば、幼稚園に入る前だと想うが 「なんでしごととか いかないの?」 って聞いてどつかれた思い出?がある。  いま考えれば酷い事を云ったとおもいもすれど、手をだすとは。 こんな親に「親を尊敬しろ!」といわれても、大概無理だと想うのだが、 親は想わないらしかった。

 この頃の小生は、外で遊ぶ事もなく、かといってTVで 子供番組を見るわけでもなく、絵本も読まず、ただ外の景色( 雲とか空とか太陽)を 眺めてばかリいた。 玩具なんかにも一切興味がなかった。 車のおもちゃは、ただ当たり前に転がるだけにしか思えなかったし、 ロボットなんてプラスティックの塊そのものに映った。
よく玩具を親にねだって泣き喚いている子供(同世代)をみて、 理解不能というか、得体の知れぬような感覚があった。
 親に初めて物をねだったのが、小学五年生のときだと記憶している。

 いずれにせよ、ひどく大人しい子供で、さぞかし親も育てやすかったろうと想う。 ある意味、この時期に楽に子供がそだったので、 親の中に(子供は適当に勝手にしておいても、立派に普通に育つ) という観念が出来てしまったのかも知れない。 金持ちの子供が大概わがままなように・・・・・・
やがて、我が家に犬がきた。柴犬とシェパードの雑種。 もらってきた犬である。 太郎。いいかげんに付けられた名前の犬と、 小生は年がら年中くっついていた。 これもやはり生まれつき大人しく弱気な犬であった。

ようちえん

 幼稚園に行っても、とくに何もしなかった。 積み木とかをして、時間になったら歌をうたわされる。 帰りの歌といえば、よく同級生がクチパクをして 喜んでいたが、僕にはナニが楽しいのかさっぱり分からなかった。
 歌が終わると、あとは親に連れられ帰るだけ。 僕は幼稚園児にもかかわらず、母が漕ぐ自転車の後ろで揺られながら 「べつに毎日かよわなくてもいいのに。めんどくさいなぁ」 なんて考えていた。
きっとこの時点で、同年代の連中から見たら、 何を考えているのか分からない奴だったんだろう。 ただ、ヘンな子どものぶん幼稚園の保母さんに気にかけられたようだ。 保母さんの父のお葬式に行った時、「ありがとう」って泣きながら飴玉をくれたのをおぼえている。

本棚 (死期2)

幼稚園の廊下に大きな本棚があった。 本もみっちり入っており、とても幼稚園児の力では倒せるものではなかったとおもう。 その本棚を、なぜかぼーっっと見ていたら、いきなり倒れてきた。 僕は下敷きになったのだが、ヘンによけずにきれいに本棚と床にサンドイッチされたのが良かったのだろう、無傷だった。 幼稚園の先生も、なんで本棚が倒れてきたのかしきりに不思議がっていた。

 小学校に入るか入らないかのころ、家族でどこかの湖に出かけたのをおぼえている。 ちなみに自分の記憶にある限り、家族三人で出かけたのは、この湖と、田舎の温泉にいった2回きりである。 湖の周りを歩き終わったあと、母親がこんな事を言い出した。
「若ハゲ、どのボートに乗りたい?」
湖にはモーターボートからアヒルボートまで揃っていたが、僕は興味が なかったので「乗りたくない」と答えたから大変な事になった。 前述のとおり、物を欲しがらない子供を、なにをどう勘違いしたのか、 両親揃って
母「おまえ、乗りたいものがあったらはっきり云え」
父「遠慮なんてするなって言ってんだろ」
母「グズグズしてないで、とっとと決めろ」
父「黙ってちゃ、なんにもわからないぞ」
母「はっきりしろって!!」
と総攻撃である。
頭にきたので「じゃあ、一番高いの」と答えてやった。 父は、それ見たかと云わんばかりに僕とモーターボートに乗った。 僕は疾走するボートの上で(こんなに天気がよいから、車の上に魚を乗せたら焼けるかな?  このモーターボートで網を引っ張ったらちょうどいいかな?)なんて考えていた。 せっかくボートに乗ったのに、少しも嬉しそうな素振りをみせない子供に、さぞがっくりしただろう。 このとき自分の心の中に「喜ぶ顔をみせないといけないのかな?」という恐怖心と同時に、 普通の子供像を押し付ける両親に対して「けっして喜ばしてやるまい」といった反抗心もあったと思う。

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