中学期

人生の最盛期( 中学1〜中学2)

人生の最盛期

中学ではテニス部に入った。 本当は自分のスポーツでの能力のなさにうんざりして、部活はやりたくなかったのだが、 親の「ダメダよ! 部活は絶対やらないと」という理由なき命令によって、 なんとなく楽そうなテニスを選んだ。きっとテニスなんて好きこのんでやる男は いないだろうと思っていたが、意外に活発で、まいにち練習があった。

クラスでは社会不適合をきっちり発揮して、隅っこでおとなしくしていたが、 そういうニオイをいじめっ子と言うヤツはすぐにかぎつけてくる。 そもそも、僕が泣き虫だった事を知っている 「バイキンマン」呼ばわりした連中がそのまま中学に来ているのだから、 学校社会でのポジションは変わらない。
中学とも成れば、虐めの質はかなり強力になる。(僕の小学校がまだノンビリした風潮があったから、なおさら)  しかしコノ頃はまだ、本格的に苛められる事は無かった。 クラスの中心人物が、虐め気質じゃなかった事もあるし、 部活の仲間や成績など、僕のポジションが変わっていったからだろう。

部活弁慶

僕の学年には、ほんとうに面白いヤツが揃っていた。 稲中卓球部ばりにキャラクターが立っていた。 ケンカなどもあったし、バカ真面目なやつからサボり魔まで揃っていたが、 うまくまとまっていたように思う。 いまだに付き合いのある連中は、このテニス部でしりあったヤツだけだ。
上級生はうるさかったが、僕は奔放に振舞った。 クラスではおとなしかったが、部活になるとはしゃいで暴れた。 少人数の気心しれた中に入ると、リーダーシップをとったり奔放になったりする。 そういう性質なのだろう。

テニスにはショットという、まっすぐ打つ球と、ロブという高く上げる弾があるが、 僕はショットばかリ打っていた。 顧問は「ドライブ回転かけるな!」なんていっていたが、僕は「これが自分にあった打ち方だから」 とドライブをかけまくっていた。 打ち込み練習をしていると「ストレス解消じゃないんだから、キチット狙え!」 といわれたが、力任せに打ち込んだ。玉を思いっきり引っぱたいて、 早く飛ばすことしか考えてなかった。テニスでも「勝とう」という気はあんまり無かったんだな。 もともと「楽そうだから」という理由だもんナ。。。
おかげで上級生からは「若ハゲ声でてねーぞ! お前ひとりで走って来い」などとよく目をつけられた。 僕のワンマンプレーぶりに、さぞかしパートナーもプレーしにくかっただろう。(中学は軟式のダブルスしかない)

部活を楽しんでいたり、成績がそれなりだった事などが、僕に自身を与えたらしい。 また、コノころ鏡を見ると、自分の想像どおりの顔をしていた。 ブランドン・ウォルシュやタクティクスオウガのヴァイスみたいな、 いかにも反抗心の強そうな顔。それも自信の一部だったのだろう。
ともかく、それまで引込み思案で部活でしかあまり会話をしなかった人間が、 いつのまにか周りと話すようになっていた。周りとは、女性を含めてだ。 僕と話をしてくれる女性は、なぜか秀才が多かった。学年で20番以内にはいる ひとばかり。 どのくらい女性に接触したかというと、もちろん付き合うなんてことはまったく無く、 休み時間に雑談程度。ときに放課後、女の子としばらく話してから部活に行く事もあったが、 それを部活仲間にみられ「女たらし」と言われてから、女性と話すのを止めた。
恥ずかしかったのもあるが、仲間にハブられる→虐め(小学校の頃のような惨めな 毎日に戻ってしまう)という恐怖が大きかった。
正直な話、僕の相手をしてくれる女の子に萌えることはあったが、 例のチンココンプレックスがありとても積極的になることは出来なかった。
あっという間の短いモテ期だった。

ペーパーナイフとワル

僕が学生生活を楽しんでいたある日の事、 社長(いまだに付き合いのある男)が図体のでかい男にナイフを突きつけられていた。 ナイフと言っても、おもちゃのナイフだろうと僕は思ったので 「よう社長、なにしてんの?」 と近づいていき、おもちゃのナイフで突っついたら、 尻に刺さった。
DQNのもってきたナイフは本物だったんだな。 勿論こってり怒られた。同じテニス部仲間だった 社長には申し訳ないことをしたと思ってすぐに謝ったら、 あっさりと許してくれた。 (去年、スキンヘッドの小生を結婚式に呼んでくれた事を考えると、本当に許してくれたと思いたい) 図体がでかい奴は許さず、親同士の問題にまでなった。

翌日、いちども見たこともないやつが寄ってきて、いきなり小生にこう云った。 「お前、社長の尻刺したんだって? ククク・・・悪だなぁ
とんでもない学校に入っててしまった。

相続争い

僕が中学一年のときにばあちゃんが死んだ。 じい様はもうとっくに死んでいたので、すなわち遺産相続争いがおこった。 長男vsその他の兄弟 という構図。僕の親は、その他側に入る。 通夜の後のある日、僕はタイミング悪く長男宅にとまっていた。 まだ長男とはもめていなかったし、長男宅には若い兄弟がいたので、よく泊まっていたのだ。

相続争いといったら、皆さんどのようなものを想像するだろうか?  夜、私の親含む、その他の兄弟側が怒鳴り込んできた。 郵便物で長男がかってに山を売っていたと言うのが分かって激昂したという、 良くある話。
ここからが凄かった。ビール瓶はともかく、包丁は飛ぶ、猟銃を振り回す(撃ちはしなかったが)、 あとはもうつかみ合い殴りあい。女子供は二回に避難させられたが、 そこはつまり長男側の「女子供」が集まっているわけで、僕の両親の糾弾大会。
人間は非道い。人殺しでもなんでもする。 他人の事など一切考えぬ。普段は善良な顔をしているが、いざとなったらコレだ!
そう悟った中一の夏。

反抗

ともかく部活だと自我が出て、すなわち反抗的だった。 反抗的というか、自分としてはものの道理にしたがっているつもりなのだが、 世間ではソレを反抗的というらしい。

ある風のとても強い日、顧問にいわれて練習していると、 顧問が「おい玉が少ないぞ! お前ら探せ!」とかいいだした。 (軟式テニスボールは、軽いので風でぷっとんで行くので練習にならない)
もちろんみんなは黙って探すが、僕は 「こんな風の強い日に練習したら、玉が無くなって当たり前じゃねーか」 と顧問に聞こえるようにワザとでかい声でわめきながら探していたっけ。

部活でもうひとつ。顧問がまたしても「声が出てない! お前らずっと玉ひろいしていろ」 と部員の半分を玉拾いにさせた。もちろん僕も。 部活が終わって、みんなで謝りにいこうって話になったが、 僕は「オレは別に悪いことしてないし、普通に声をだしていたから」という理由で謝りに行かなかった。 僕のほかに2人謝らなかったヤツがいるが、ひとりは直ぐに止め、もうひとりは数日後に謝った。 僕は止めたかったが、親が「ナニが何でも続けろ! とにかく続けろ」という命令で、 数日間だまって玉拾いをしていたが、だるくなったので部活に行くのを止めた。 それでも親は「ダメダ とにかく続けろ。内申書に響くから」とのたまったが、 担任から「止めるのか続けるのかハッキリしてくれ」と言われ、結局ひとりで誤った。
もちろん本心では悪いと思ってないから「親とかとそうだんして自分にも悪いところがあった かなぁ・・・と」なんて誤りかたしたら、糞顧問は「なんだ、お前は 親に言われて謝りにきたのか? 本当に悪いと思うなら、部活の全員に、部に戻っていいか許可をとってこい」 とか訳のわからん事を云われたが、部に復帰しないと、 野球部時代の獄門をうけることになるのでやった。 部員っていうか仲間ひとりひとりにイチイチ説明して、許可をもらう。 連中もよく意味がわからんくて、いい迷惑だったろう。
ともかくこうやって、自分は親とは一生涯これっぽっちも理解しあえないだろう という確信を深めていったわけだ。

最後にめずらしく部活意外で。だれもが やりたくない文化祭の準備。花を作ったり紙を切ったり、 女どもやほとんどのヤツがサボっていたが、ぼくは部活に行かなくて済む という理由でまじめにダラダラやっていた。 文化祭前日になって女どもが来たので、僕はひさびさに体を動かそうとテニスをしていたら、 担当の教師が来て「若ハゲなにやってんだ! お前がテニスなんかしてるから 女さんたちが怒って帰っちゃったぞ!」と怒鳴りつけてきた。 僕は持ち前の反抗心で即座に「H先生、女は昨日まで一日も来なかったじゃないですか?  女の味方ですか?」と怒鳴り返してやったら、教師は回れ右して、 怒りながら職員室にいってしまった。
やはり教師というのは、まともな大人が少ないらしい。

人間不信・おまえらそれでも人間か!? (中学3年〜中学卒業)

僕の中学は、2・3年は同じクラスで、1年生の終わりにだけクラス替えがある。 で、二年生のクラスはというと・・・・・・ クラスの中心人物はいじめっ子気質のサッカー部+バスケ部という 、まさに「健全な精神は健全な肉体にやどる(んだったらすばらしいのに・・・)」 を地でいくような連中だった。 そして小生は、もちまえのヒネクレ体質を発揮して、さっそくイジメの標的にされたようだった。 連中は何かと因縁をつけてきたが、テニス部の仲間もいて手をだしにくかったのだろう、 なかなかイジメには発展しなかった。

しかし、それは中三の修学旅行で起こった。 ホテルの廊下で友達と思って肩を叩いた。振り返ったのは バスケ部のあいつだった。
「テメェふざけんなよ」「ゴメンで済むかよこらぁ」 勝ち誇ったように怒鳴るあいつの顔。忘れはしない。
サッカー部のあいつも当然くる。「お前イキがってんじゃねぇよ! ああ!」 すました顔して蹴りを入れるあいつの顔、忘れはしない。
そのうちバスケ部サッカー部の奴ら、そしてこの2人に支配されている クラスの連中が集まってきて輪になる。これだけ騒ぎになっているのに、なぜか 教師は来なかった。 「テメェわかってんのかコラ」「誤れよ」「ああ? 土下座だ土下座!」 「早くしろよ! 悪いと思ってんだろ」「控えろ若ハゲ!」

僕は怖かった。ぜんぜん一人では戦えなかったし、一方的な攻撃に足が震えた。 手を床につきながら、自分の無力さ、恥ずかしさ、これから始まるであろう 恐怖の日々を考えていた。頭は下げたが、なぜか額は床につかなかった。 (福本マンガの黒澤最強伝説と同じような状況) 
誰かが僕の頭を踏みつけた。 「恥を知れよ 恥じを!」「ワハハハ、だっせぇな」サッカー部やバスケ部の連中が笑った。 あいつらの本当に愉快な顔を忘れない。
そして
そして、閃光が光った。フラッシュだ―――
オレの土下座をインスタントカメラで嬉しそうに撮った女どもの顔、忘れはしない。
僕はこの日から人間不信になった。老若男女すべての人間を憎む決意をした。そして今日まで 人間そのものを憎みつづけている。人間の言うこと為すこと一切を信じていない。心から愛し、心から信ずる事は決してない。

その後も、部屋での暴行、そして修学旅行が終わってからの絶望的な日々。 叩かれ、命令され、脅されて・・・・・・  僕は言うことは聞いていたが、反抗的な目つきで思い切り睨み、意地でもタメ口を利いていた。 それが気に入らないらしく、絶対服従させようと、 デスマス調を使わせようとしたりしてきたが、従わなかった。 事もあろうか、バスケ部のやつは、テニス部に乗り込んできて僕にボールをぶつけたりした。 部活弁慶だった僕が、仲間の前でやられたのだ。 もう自分の立場も、何も無い。全てをなくした。それでも従えなかった。

僕にとっては、自分の最後の意地というか、プライドが崩されるほうがもっと怖かったのだろう。 むしろ意地を通すことで、なんとか自我を保っていたと言ってよい。 その態度が功をそうしてか、主犯格の2人のほかは、僕を攻撃してこなかった。

僕は完全に自信を失い、学校にいるのが苦しく、また虐められている事が とても恥ずかしかったので、自ら友達付き合いを切り孤立していった。 最低限の会話しかせず、休み時間は常に便所に篭って外を眺めていた。 学校に行くのがイヤでイヤで生きる心地がしなかった。 まいにち自殺するような気分。まさに絶望の日々。

当時の僕にとって救いだったのが、虐められたのが3年の途中からと言う事だった。 「1年の我慢だ」という想いと、3年生の後半は、受験勉強のため昼に帰れた のが大きかった。それでもイヤな学校にいる時間を少しでも減らそうと、 遅刻ギリギリで登校し、授業が終わると直ぐに帰った。しかし (イジメを受けたひとは分かると想うが)連中のイジメは執拗で、 なにかと理由をつけイジメる。 ボタンを押せばお金を入れなくてもジュースがでてくる自動販売機。 だったら押せるだけ押したほうが楽しいだろ? そんな感覚だったんだろうな。 ともかく、早く帰れるからと言って、僕の絶望感、 毎日死んでしまいたいような気持ちがなくなるわけではなかった。
「死ぬぐらいなら、殺そう」という気持ちはあった。決意もあった。 ただ、やはり怖かった。 僕は、何か自分の中の安全装置をはずす切欠が必要だと考えた。 「お金を要求されたら・・・刺そう」と決めた。
この決心があったから、僕は結局、中学を卒業できたのだろうと思う。 いま振り返ってみると、心のどこかで(早く金を請求してこい)と願っていた。 そんな気配を察してか、じょじょにイジメは弱まっていき、 残念ながら金を取られること無く卒業式を迎えた。(卒業式は休んだが。。。)
それからの僕は、奪われた時間を悔やみながら、自信とプライドを失ったまま生きていくことになる。 今でも、あいつを果物ナイフで刺し殺せなかった事を無念に想う。

学年のアイドル ※この項は、イジメられる前と後にまたがっています。

2年生になってクラスが変わった。 前述のとおり、女性が苦手になっていて、話し掛けられるだけで恥ずかしがる小生を、 ナニを思ったかクラスの女子が面白がってからかいだした。 つまりは「若ハゲ君、鉛筆とって」とか「若ハゲ君、こっち向いて」とか 「ちゃんとこっち見て話しなさい」とか云って、恥ずかしがる僕をみて楽しむ遊びだ。 クラスの中だけならまだしも、部活中にも「若ハゲくーんww」なんて数人で手を振ってくるものだから、 恥ずかしすぎて面目ない。部活弁慶が面目丸つぶれだ。 (いま考えると、コレもいじめっ子連中に狙われる原因のひとつになったんだろうなぁ)
挙句の果てには、小生に抱きつくという度胸試しをする女までいた!(しかも虐められた後のこと)

そして席替え。となりには学年のアイドルMさん。 (いまだにレント氏やテニス部連中に一番可愛かったのは? と聞くと真っ先にMさんの名前が挙がる。 客観的にみても、そこいらへんの訳分からないアイドルよりよっぽど可愛かったと思う)  そのMさんが、小生に向かって「鉛筆ひろって」「足でひろっちゃダメでしょ」「ありがと若ハゲくん」 とか云うから、もう頭がおかしくなる。 でも、前述の女嫌いとチンココンプレックスもあり女性に完全に自信をなくしていた僕は、 どうする事も出来ない。何も出来ないが、気になって気になって、チラチラMさんの顔を見る。 それをキモイと思ったのだろう、ある日ぼくは、女子軍団に無言で追いまわされた。 Mさんの要請によるものだった。(と思う)

僕はMさんのことを見なくなったし、もちろんMさんは僕に話し掛ける事もなくなった。 席替えもあり、自然とこの状況は消えていった。
そして、虐められ、すっかりおとなしくなった僕がいた。 Mさんはイジメのことを知っていたかどうか分からないが、 女子軍団で追いまわしてしまった事に罪悪感があったのだろう。 沈み込んだ僕を見て、こう云った。
「若ハゲくんはきっと、孤独を愛する男の子なんだよ」

ラジオ・映画

この頃の僕は、イジメのせいもあってほとんど寝付けずに、 夜中ふとんの中でラジオを聞いていた。 そしてNHKのラジオ深夜便で、老人達の戦争の頃の話、貧しかった頃の話を 聞くのが楽しみだった。時報を聞くたびに「あと××時間で学校か」とか「あと何時間は学校いかなくて済むな」 とか思っていた。昼はマンガを読んでいた。 ゲームなどは時間がたつのが早すぎてイヤだった。水木茂のマンガ本を何度も繰り返し読んだ。 本当に「人間の世界はイヤだな。妖怪になりたいナァ」という現実逃避だった。 ドラえもんもよく読んだ。一話一話が短く、呼んでいると時間がたつのがすごく遅く感じられた。 おかげでKとのドラえもんシリトリ(ドラえもんの道具でシリトリをする)は、常に完勝だった。
また、夜いつまでたっても眠れないときや、夜中に目覚めてしまったときは、TVを見ることがあった。 そのとき、偶然に出会った映画が、ルイマル監督「鬼火」 アンジェイワイダ監督「地下水同」  いまだに我が心の映画です。これを見れば僕の内側がすこし分かるかも知れません。

Next



TOP    著作:若ハゲ  このページは個人的な趣味で作ったページです。 内容、画像等に問題がある場合はメールください。