21〜22才
このままではいけない、もういい年齢だし、親元から離れよう。
そう考えた小生はリゾート地のバイト、北海道に行く事になる。(カメラマン・契約社員)
長い拘束時間。責任のかかる仕事。いちいち喚く上司。
人間関係。同僚。上司。会社都合優先。手が回らないほど忙しくして、ミスったら個人の責任。
足ばっかり引っ張っているのに、上司がくるとすかさずアピールするヤツ。
世の中いろんな意味で、強い者だけが生き残る事がわかった。
小生に競争能力がないことも解った。
上司に上手く取り入ると言う、最近流行りのコミュニケーション能力と言うのが、
何より大事なのもわかった。
新人の半分くらいは、入ってすぐに止めていった。
小生もそうするべきだったのに、無駄な根性を発揮して、契約期間満了までいた。
そして体調を崩した。禿げた。
仕事を続けないかと言われたが断った。
カメラマンを始めてから、その激務および
精神的苦痛で、心身とも萎えていた。
本当に疲れていると、オナニーする元気もないものだ。
ずっとオナニーしなかったし、その間に射精する事は無かった。
そして3ヶ月ぶりのオナニーをすると・・・・・ゼラチン状の精液が出てきましたとさ。
きっと膀胱の中で凝固したんだな。
仕事の一つとして、ホテルのお客の写真をとって売りつけるという業務があった。
食事のときに「お写真とらせて戴いてよろしいですか?」と声をかけ、
写真をとって翌日の朝にロビーで売る。そして毎日の売上が
事務所に張り出される。明らかに競争意欲を煽ろうという会社の
根性が気に食わなかったし(こんな意味のない競争に必死になるやついないだろ)
と想っていたが、同期の連中はよろこんで競争していた。
僕にはまさに理解不能だった。
べつに成績を上げたからといって給与に反映されるわけじゃないし、
会社が得するだけの競争。
せっかくの旅行でホテルで飯を食っているときに話し掛けられたら
イライラしそうなものだが、彼らはそんな事おかまいなしで、競争に勝ち優越感を味わうために
声をかける。世の中にはなんだかんだ云って、仕事や競争が大好きな
ひとがたくさんいるんだナァと想った。本当に人間というのは何を考えているのか分からないものだ。
最近は格安の旅行会社が増えた。中には電車賃や飛行機代より
安いツアーもある。そのからくりはリベートにある。つまり、
ツアーの客がホテルや売店で何か買うたびに、キャッシュバックさせるのだ。
もしリベートを下げたりなくしたりするなら、その観光地はツアーのコースから外す。
旅行会社は観光地に「お客様を連れてきてやっている」という立場でいるらしい。
もちろん写真代も撮られる。とくに激安で有名な阪急交通社は、なんと売上の50%を持っていく。
純利益じゃなくて売上の50%!
また添乗員によっては、個人的にリベートを要求してくる。
そんなタバコ代ぐらいしかもらえないものを請求してどうするのやら。
ある日、港で写真をとっていると、阪急交通社のガラの
悪いババァ添乗員がお客がはけたところでいきなり
「おい! アンタ誰に断って写真とってるんだ!」と怒鳴りつけてきた。
後ろではこれまたガラの悪い、デカイ男添乗員が、ヤクザぶって睨みつけてくる。
もちろん「お客様に断って撮っております」とシレッと言ってやったがな。
なんか自分の利益のためじゃなく、会社の利益のために怒鳴ったり怒ったりわめいたりする大人を見て、
世の中がアホらしくなった。
あいつらが日本のスタンダートと言う事を気づくのにはもう少し後の事。。。
僕が働いていた事務所は、住み込みの寮があって飯炊きのババァがいたが、
このババァに目をつけられたのがストレスの始まりだった。
ゴミの仕分けが違っていれば僕のせい。茶碗の洗い方がマズければ僕のせい。(同僚がやったのに)
その上、それには醤油かけろソースかけろ、茶碗の持ち方がおかしいだのまで注意してくる。
最後にはこのババァ、仕事先のホテルに「若ハゲって奴はダメダ。使えない」っていうウワサをばら撒きやがった。
人口3000人の村なので、人間関係ががんじがらめ。古株のババァにしてみれば、この手の事はお手の物。(仕事やめるときに、昆布屋のおっさんに聞いた)
逆に同期のAはババァに気に入られて、地元の女の子を紹介してもらって童貞喪失したっけな。
あと部長ってのがいて、家の会社は値引きとかは禁止だったんだけど
先輩が値引きするたびになぜか僕に向かって「だから値引きするなって何度もいってるだろ!」と怒られた。
「おい、たまには会社の車洗っておけ」と、他の同期じゃなくからなず僕に云う。
世の中ってキャラクターで決まっちゃうようなところがあると思う。そして
キャラクターで損してきた小生は、そういう奴がねたましいし、
キャラクターで態度を変える世の中がムカツク。それも小生の努力不足のせいですか。ハイハイ
小生には愚痴を言わないというポリシーがあった。我慢できないくらいイヤなら、
愚痴なんぞ言わずに辞めたらいいとおもっていた。
どうもこれがまずかったらしい。愚痴をいわない小生が、絶好の愚痴聞き役になってしまった。
事務所のほとんどの人間の愚痴を、毎日のように聞く羽目になった。
ここで僕は、改めて人間の恐ろしさを知る事となる。
ある日Gは、Kは困った奴だ、面倒見切れないと言う。次の日Kは、Gは非道い、
威張りすぎだと愚痴った。あくる日、事務所に行ってみると、さんざん陰口を
叩き合っていたGとKが楽しそうに談笑していた。小生は頭がおかしくなりそうになった。
カメラマンのバイトには、30歳ぐらいの方も何人か入ってきた。
数年つとめているYやGが仕事をおしえるのだが、なかなか物覚えが悪く
「いいかげんにしろや、あのおっさん」「ほんま勘弁やで なぁ」なんて云っていた。
もちろん本人を目の前にしては云わねど、やはり態度や言葉遣いに出るものだ。
30歳の方たちは「そりゃ物覚え悪いかもしれないけど、あんな態度ないだろ! なぁ!?」
と小生に向かってヤケになっているわけである。
小生は愚痴を聞くのがホトホトいやになって、余り寮にいないようにした。
ただでさえババァと長時間労働と営業チックな仕事で心身疲労しているのに、
愚痴まで聞かされたら堪らん。
それから小生は、港で酒を飲むようになった。一升瓶を抱えていく。夏の北海道はカラっとしていて蚊も少なく、外でも過ごしやすかった。
波の音を聞きながら酒を飲んでいると、気分が良かった。船が揺られて、接岸しているタイヤとこすれる、ギィ・・・ギィ・・・という音が哀愁を誘った。
仰向けに寝転がれば、星がやたらときらめいてキレイだった。三角岩という
海に突き出した岩に登って月を見た。月を見て唄をうたった。ストレスで頭がおかしくなっていたのかも知れない。
いつだったか、波間に漂う、青白く光る海月たちを見た。酔いか涙か、小生の視界は揺らいでいたけれど、
あの美しさは今でも忘れない。
僕のこの頃の一番の趣味は、景色を見ることだった。
10万で車を買い、休みの日は一日中走り回った。
休みの日の前日に出発し、仕事の日の夜明けに帰ってくるほどで、
一日で1000km以上走ったこともあった。
地元雑誌などをしらべ、隠れたスポットにも赴いた。
ダート道に突っ込んだり、藪を書き分けて進むのは怖くはなかった。
有名な観光地より、ひっそりとしたところが好きだった。
湖の岸辺にぼくひとり。峠の岬にぼくひとり。遠浅の海にぼくひとり。
誰もいない景色が好きだった。惹かれていたのかもしれない。
人間が居ない事で安心できた。ただ一時間も眺めて、ぼーっとしていた。
それから詩なんかを書いたりした。写真はあまりとらなかった。
同僚には何度か
「休みの日にどこか連れて行ってよ」とバカなことを云われたが全て断った。
(僕の撮った写真。ぼくの精神状態があらわれている)
観光地ということもあってか、いろいろあった。
前述のKという女は、僕と同年齢にもかかわらずよく泣いた。
躁鬱の気があるらしかった。愚痴や悩みを聞いていたせいか、
妙に信頼され、服や食い物をもらった。(一応補足・・・彼女は別のひとに惚れていたのでそれ以上なにもない)
仕事で入るホテルでは、挨拶だけはきちんと誰にでもしていた。笑顔で。
ソレが功を相したのか、バイトの女の子3人組が「若ハゲさん、アドレス教えてください。こんど遊びに行っていいですか?」
という嬉しいお誘い。でも3バカトリオならぬ、3busu・・・・・・
ホテルに食事中の写真をとりにいくと「おお兄ちゃん、一杯飲めや!」なんていうことは良くあった。
そして「あらお兄ちゃんカワイイね。ちょっとこれ食べていきなさいよ。はいアーン」
なんていう人も・・・結構いる。もちろん鉄の心をもってムシャムシャ食ってやったがナ。
極めつけは、ロビーで写真を売っていたときによってきたオバサン。
「こんな仕事しなくても、ワタシと付き合ってくれたら3万ぐらいあげるわよ」
「・・・・・・」('A‘)
「フン! どうせこんなババァはイヤだと思ってんだろ!」
「・・・・・・」('A‘)
ホテルの中に昆布売りのおじさんが居た。
よく仕事中にトロロ昆布を食べさせてもらった。兎に角やさしいおじさんだった。
あるとき、昆布おじさんに誘われてAと僕で呑んだのだが、Aがグテングテンに
酔っ払って昆布おじさんの家に泊まることになった。(このときに飯炊きのババァのことを教えてもらった)
とりあえずAを介抱して、3人並んで床についた。
と、昆布おじさんが僕の手をにぎってくるんだな。
「・・・眠りにくいっすよ」
「だって若ハゲちゃん可愛いんだもん」
「眠りにくいから、やめてくださいよ」
「Aも可愛いけど、若ハゲちゃんもかわいいよ」
「・・・・・・('A‘)」
昆布おじさんは手相占いが得意で、オレは生命線がとても短いらしい。
僕はTOYOTAのチェイサーって車に乗っていた。
後輪駆動。いわゆるFRってやつで、ドリフトに適していて後輪が滑りやすい。
そして滑った。携帯も通じないような山奥の林道で。
林道っていうのは車が走れるところが土手のように少し高くなっていて、
周りは名前のとおり林、というか森になっていて木が生えている。
その森に思いっきり突っ込んだ。
何がなんだか分からないから、(侭よ!)とばかりに
ハンドルもアクセルもブレーキも弄らずに居たら、いつのまにか止まっていた。
木と木に挟まるようにして。ちょっとズレて木に突っ込んでいたら、もしハンドルを弄っていたら、今ごろ小生は・・・・・・
ここからが大変であった。なにせ携帯電話が通じないから、数時間マラソンしてペンションに行き、
ジャフを呼んでレッカー。
「よく無事だったねぇ。僕もこういう仕事だから、事故現場を良く見るけど、
この現場でドライバーは死にましたって云われても(ああ、そうだろうな)と思ような状況だよ」
と言っていた。ジェフのお兄さんは「キミ、お金ないでしょう」
と言ってレッカー距離などをごまかしてくれたうえ、良心的な修理工場を
紹介してくれた。
なんで生き延びてしまったのだろうか。絶望ばかりの人生が続くと言うのに―――